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寄稿記事 わたしの女医ライフ【第1回】

「女医さんで良かった」という言葉に思うこと―わたしの女医ライフ

2017年7月13日(正木稔子)

「女医さんで良かった」
 患者さんからのこの言葉を、心からうれしいと思えるようになるまで長い時間がかかった。

 女子高から、男子が圧倒的多数の別世界である医学部に飛び込み、戸惑いだらけだった大学1年生。それから年を追うごとに男性の多い世界に慣れていったが、病院実習に行っても、卒業しても男性が多い。そんな中で目につくのは、男性にはできても、女性には難しいことばかりだった。

 解剖学的に言っても男性は筋肉量が女性よりも多く、圧倒的に体力が上回る。
 そんな事実は認めたくなくて、「わたしだってやればできるもん!」と突っ走った医局時代。

 でも、体力は男性にかなわない。そして、女性には必ず月経周期がやって来る。いつもフラットに仕事ができるわけではなく、PMSで感情に波があったり体が重怠かったり、月経困難があると人によっては痛すぎて失神するくらいだ。しかし「だから女って」と言われたくないから必死で頑張る。毎日全力で走って息を切らしている状態だった。そういうひずみは必ずどこかに出てくるわけです。どんなひずみかって?化粧をしなくなる。オシャレをしなくなる。仕事着のまま病院と家の往復をする。言い方がきつくなる。笑わなくなる。動きがガサツになる――。

医師人生を変えた、ある例え話

 私は教会に通っているのだが、そこでは女性の傾向や役割を、聖書を教科書にして学ぶウーマンズスタディーというものがある。結婚で失敗した私は、女性としての在り方を考え直さなければならないのではないかとにわかに思い始めていた。そんなある日、ウーマンズスタディーで言われた一言に、頭を殴られたような衝撃を受けた。「女性はね、宮殿の柱の様なものなの。宮殿を支えるものであり、優雅で見た目に美しく、耐久性があり、そして隅の方でしっかりと立っている」――わたしの行動はすべてが真逆だった。できることならこうなりたいと思った。

 それ以来わたしは仕事の中で、女性医師の自分でなければできないことを探すようになった。例えば、女性患者さんの気持ちに寄り添うこと。こんな方がいた。がん治療をして容姿が変わってしまった。心に傷を負い退院に積極的になれなかった。物理的には退院できるのに…と、男性医師たちは手を焼いていた。そこでわたしは「宮殿を支えるにはどうしたらいいか」を考えてみた。彼女が退院するために、女性としてできることは何だろう。仕事が終わると彼女の部屋に行き、治療とは全く関係のない女性としての話をするようにした。もちろん、話が弾むようになるまで長い時間がかかったが、徐々に心をゆるしオシャレのことや家事のことなどいろいろ話してくれるようになった。そうするうちに部屋から出なかった彼女が院内を散歩するようになり、数か月かかったが退院にこぎつけた。当時の上司は大変厳しくわたしはいつもビクビクしていたが、彼女の退院が決まった時「正木君のおかげだ」と言われた時は心の中でガッツポーズだった。

 若輩者のわたしが言うのもおかしなことだが、人生に無駄なことは何一つない。男性医師に負けじと全力で仕事を覚えてきた医局時代があったから、今の技術と知識があると思う。だから医局時代の自分に後悔はしていないし、なりふり構わない、そういう時期は必要だったと思っている。ただ、いつまでもがむしゃらに働き続けられるわけではないのも事実。自分自身の成長が落ち着き少しスローダウンしてもいいかなと思った当時、女性である自分だからこそできることに目を向け、医師としての在り方を見直すことができたことは、わたしにとって大きな意味を持っていた。

 ある女性患者さんが来た。婦人科系の疾患の治療を終えたばかりだった彼女は、それが今あるめまいの症状と関係しているのではないかと不安だったらしい。彼女はドキドキしながら診察を待っていた。診察室に呼ばれた。支度をして診察室に入ると、担当医はわたしだった。めまいの検査を進め、「婦人科疾患があるなら貧血も心配だから採血しておきましょうね」と話したところで彼女は堰を切ったように言った。「女性の先生で本当に良かったわ!男性だったら婦人科疾患を心配しているなんて言えなかった。安心しました。よろしくお願いします」。素直にうれしかった。わたしが女性というだけで安心してくれる方がいる。その事実を無条件に喜べるようになるまで長い年月がかかった。

女性医師だからできること

 女性であることが、劣った特徴であるかのような錯覚に陥った時期があった。わたしの思い込みの部分もあるだろうが、そう思わせる環境があるというのも否定はできない。世の中には、子育てをしながら、また家庭を守りながら仕事をしたいと思っている女性医師たちはたくさんいて、彼女たちが活躍する余地は、まだまだある。
 「女性医師だからできない」ことではなく、「女性医師だからできる」ことに着目させてくれた宮殿の例えは、わたしの医師人生を大きく変えた。

正木先生のプロフィール写真

正木稔子(まさき・としこ)
1979年生まれ。福岡県北九州市出身。
福岡大学医学部を卒業後、日本大学病院耳鼻咽喉科・頭頸部外科に入局。主に癌治療を行う。その後クリニックに勤務し、西洋医学に漢方薬を取り入れたスタイルで診療をしている。
現在は診療業務と並行してDoctors’ Styleの代表を務め、医学生とドクターを対象に、全国で交流会を開催したり、病を抱えた方々の声を届けている。また、ドクターや医学生に向けた漢方の講演なども行っている。
それ以外にも、国内外で活躍する音楽一座HEAVENESEの専属医を務めているほか、「食と心と健康」と題して一般の方向けにセミナーを開催し、医療だけに頼るのではなく普段の生活の中からできることを提案している。

  

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