都市部の“かかりつけ医難民”を救え!地域に寄り添う家庭医の想い―杉谷真季氏(桜新町アーバンクリニック)

開業医であった祖父の姿を見て、医師を目指した杉谷真季氏。高校生の時から家庭医を志し、都市部の患者を診ていきたいという明確なビジョンを持ちながら研さんを積んできました。キャリアを築くにあたっての考え方、これから家庭医として・・・

コワーキングスペースを回診! 地域にコミットするクリニックの想い ―麻植ホルム正之氏(ライフクリニック蓼科)

医療者側から医療の門を狭めない――。麻植ホルム正之氏は、このような思いから2017年9月長野県茅野市にライフクリニック蓼科を開業し、患者に多様な選択肢を提供しています。「人を医療を地域からハッピーに」というビジョンの裏に・・・

大学医局を出てからの気付き、そして自身の変化――わたしの医局論(4)

小鷹昌明(おだか・まさあき) 大学医局を退き、次の勤務として選んだ場所は福島県南相馬市にある市立病院でした。福島第一原発から23 kmの地点に存在する被災地病院です。赴任して間もなく“あること”に気付き、そこからは医師の・・・

大学医局で、約18年間走り続けられた理由―わたしの医局論(3)

小鷹昌明(おだか・まさあき) 約18年間というそれなりに長い年月を大学組織で過ごしてこられたのは、やり甲斐やモチベーションがあったからこそ。前稿にて、大学病院を辞職するまで経緯を赤裸々に打ち明けてしまった手前、多少の矛盾・・・

退局を段取りよく、円満に進めるために必要なこと―わたしの医局論(2)

小鷹昌明(おだか・まさあき) 前稿でも触れたように、わたしは、「これ以上、大学にいても成長はない」と判断して医局を辞めました。もちろん、そのような結論を導き出すまで、さまざまな葛藤があったことも事実です。今回は、わたし自・・・

医局所属18年の准教授が、「退局」を決めるまで―わたしの医局論(1)

小鷹昌明(おだか・まさあき) 卒後18年間所属していた大学医局を辞し、公的病院での勤務を始めて6年が経過しました。大学病院時代を振り返ると、忙しくも自分を成長させてくれた時間だったと感じています。そんなわたしが、なぜ突然・・・

「30代前半でのキャリアチェンジ」は時期尚早?悩んだ末の決断とは ―林伸宇氏(医療法人社団鉄祐会祐ホームクリニック平和台)

医師8年目、30代前半という若さで、東京都練馬区の祐ホームクリニック平和台の院長に抜擢された林伸宇氏。「タイミングとしては正直少し早いのではないか」と思っていた林氏が、急性期医療から在宅医療へキャリアチェンジした背景とは・・・

“名ばかり産業医”に終止符を―Dr尾林の産業医ガイド(6)

尾林誉史(おばやし・たかふみ) これまでに、現在、そして、今後求められていくだろう産業医の姿について、わたしなりの経験と知見を含めてつづってきました。「そんなアプローチもあるのか」と共感いただいた方もいれば、「そこまで手・・・

医師を離島医療に掻き立てた“一本の電話”―石橋興介氏(竹富町立竹富診療所)

「力を貸してほしい」―。この1本の電話が、竹富診療所、そして一人の医師のキャリアを大きく変えました。2015年、竹富診療所に赴任した石橋興介氏は、島の人の健康に危機感を覚え、住民と一緒に島の健康づくりを推進。その取り組み・・・

2人の子持ち医師が、あえて通勤2時間の病院で働くわけ ―斎藤 舞子氏(東埼玉病院)

祖父の死をきっかけに無医村を知り、地域医療を志した斎藤舞子氏。初期研修を通じて理想の医師像と出会い、医療資源の少ない地域で医師として働く決意を固めます。それを実現するために選んだ勤務先は、自宅から片道約2時間かかる東埼玉・・・

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