医師インタビュー企画 Vol.5 落合慈之
振り返れば、本当に生意気だったと思います。でも私は、どの病院に勤務していても、ベストを尽くすことを信条にしてきましたし、ベストを尽くす仲間同士の中で働きたいと願ってきました。

落合慈之 Chikayuki Ochiai
NTT東日本関東病院院長

勝ち負けのない世界で闘いつづける落合慈之。

vol5_1「1952年関東逓信病院開院」、「2000年新病院完成・総合医療情報システム導入」。各科の診察の待ちあいスペースに設置された大きなディスプレイには、さまざまな情報の合間に、NTT東日本関東病院(以下、NTT関東病院)の歴史を紹介する印象的な2枚の写真が映し出される。特に後者の、最新の電子カルテやハイスペックの医療機器が導入された新病院の工事中の写真は、21世紀の幕開けにふさわしい医療機関を期待させるものだ。

落合慈之は、2002年に同院の院長となり、この新病院の舵取りを任された。経営ノウハウをまったく持たない彼だったが、以降、マネジメントを必死に学び、独自の経営観を培う。医療環境が激変する中、企業立の病院を経営するのは、並大抵でなかったに違いない。しかも、自院の「ひとり勝ち」では、まったく満足できない落合は、日本の医療そのものをより良くするために、常に闘いの渦中にあった。

新病院建設は大博打だった

vol5_2

1999年、関東逓信病院はNTT東日本関東病院と改称、2000年12月には、改築して最新の電子カルテによる総合医療情報システムを導入した新病院を完成させた。

一見、大手情報通信会社が本業のアドバンテージを存分に生かして、今までの日本にはなかった最新鋭の病院づくりに挑んだように思われるが、事実は若干違う。

関東逓信病院は長い間の赤字体質から抜け出せず、親会社の民営化を機に廃院も検討されるほどのピンチに陥っていた。改築は、体制移行期の親会社が打った大博打に近いものだったのである。

博打に勝つために、白羽の矢を立てられたのが落合だ。1998年に同院脳神経外科部長に招かれ臨床の現場で指揮を振るっていたが、経営の経験もなく、帝王学を紐解いたこともない生粋の臨床医。

出身大学の医局で、尊敬する教授のリーダー然とした振る舞いを間近で見聞し憧れを抱きはしたが、人の上に立つ野望が内面から湧いた瞬間などなかった。

しかし、彼には、間違いなくリーダーたる素質があったようだ。

団結して21世紀最初の病院に

証左になるエピソードを、紹介しよう。新病院建設が決まった当時、廃院が検討された傷口は開いたまま、病院存続を素直に喜べない思いが、職員たちの心の中に澱となって沈んでいた。明るい未来を感じさせる病院オープンを目前にして、院内の雰囲気は気だるかった。

いぶかしく感じた彼は、入職したばかりの一介の診療部長にすぎなかったにもかかわらず、病院の職員に聞いてまわったという。「関東逓信病院を20世紀最後の病院にするつもりなのか、それとも21世紀最初の病院にするつもりなのか」と。

「振り返れば、本当に生意気だったと思います。でも私は、どの病院に勤務していても、ベストを尽くすことを信条にしてきましたし、ベストを尽くす仲間同士の中で働きたいと願ってきました。どうしても、言わずにはいられなかったのです」

誰かが見ていたのだろう。いや、関係者全員のコンセンサスだったのか。2002年、落合は指名を受け、院長に就任した。

ページ: 1 2 3 4

サブコンテンツ