医師インタビュー企画 Vol.20 吉田穂波
女性だからというだけでなく、能力や努力が及ばず、受験や就活、昇進に失敗した経験も一度や二度ではありません。でも、今となってみれば、その時選ばれなかったことが、必然で必要だったのかもしれないと思うんです。

吉田穂波 Honami Yoshida
産婦人科医・医学博士・公衆衛生修士/
神奈川県立保健福祉大学 ヘルスイノベーションスクール設置準備担当 教授

「女性は子どもを産むと戦力外?」当時の前提に疑問を抱いた女性医師

「子どもを産むと仕事ができなくなる」のは本当か。「一斉行進の列からはみ出してしまったら二流医師なのか」「日本で子育てをしながら働く女性医師の立場を変えたい」。産婦人科医の吉田穂波(神奈川県立保健福祉大学)はハーバード公衆衛生大学院への留学前、子ども2人を抱えながらそう心に誓っていた。仕事と子育てを両立しながら大学院留学にも挑戦したのは、自分の身をもって、働く母親の価値向上に挑みたかったから。現在は公衆衛生医師として母子保健を中心とした統計疫学・政策研究や人材育成の仕事に携わり、家庭では4女1男の母親である。そんな吉田も、30歳を過ぎてからは結婚、出産、夫の留学による海外生活と、自分の努力だけではコントロールできない壁が現れ始めた。妊娠・出産、子育てと医師業とのダブルワーク、留学先での所得格差――。その時々で弱者の立場になったからこそ当事者視点からの変革に挑み続けた、吉田の原動力に迫った。

【目次】
・仕事も家庭も中途半端、だからこそ医師10年目で留学を決意
競争レースからはずれてもなお、自分の望むキャリアを歩み続ける
海外で思い知った多様性、時にみじめな経験も
悔しい思いを、未来と他者のために役立てるというキャリア・プランニング

仕事も家庭も中途半端、だからこそ医師10年目で留学を決意

吉田が医師になったのは1998年。女性医師の割合が全体の15%にも満たない時代、医学部生から研修医の時期にかけて、男性中心の医療現場で育った。それでも「その時の挫折、悔しさ、失敗のおかげで今がある」とやわらかな笑みをこぼす。

医師になって20年の節目を迎えた2018年現在、吉田は神奈川県で保健医療分野の人材育成や、母子保健と災害時対応に関わる公衆衛生医師として、新たなチャレンジのステージに立つ。母子保健は人の生涯の健康基盤にかかわる分野だが、家族、地域全体の健康や疾病予防という観点からはなかなかその効果を検証することが難しい。そんな中、吉田はICT(Information and Communication Technology、情報通信技術)やAI(Artificial Intelligence、人工知能)などの最先端技術を取り入れ、楽しく使いやすい母子保健支援ツールを開発している。例えば電子母子手帳アプリの普及啓発を通して、平時からの妊娠・出産・子育て支援や人口過疎地における少子化対策など、有事の際も情報閲覧や専門職の派遣が叶えられるようなしくみづくりに力を注いでいる。また、人々がこれからの「人生百年時代」をどう生きるか、産官学、市町村等と連携し、社会人がヘルスケア分野とビジネス分野を学べる大学院「ヘルスイノベーション研究科(2019年開校予定)」の設立準備に携わる。

「病院にいた頃は、厚生労働省をはじめ、国や自治体の考えに対する認識は浅く、むしろ現場感覚との乖離を感じることもありました。でも、ハーバード留学や東日本大震災を経験して、医療という社会インフラや社会システムをつくるのはやはり行政や自治体なのだと再認識したんです。そこに何かしらの課題があるなら文句を言うのではなく、私が解決の一端を担う姿勢でないと良い方向に進まない。だからこそ、2012年からパブリックセクターに飛び込み、政策研究を学んでいきました」

2013年に5人目の子どもが産まれてもなお、厚生労働省や文部科学省の補助金を得て、母子保健や災害対応、地域の紐帯形成に関する研究を行い、エビデンスの蓄積や論文作成に取り組んだ。今も災害時の母子支援は、吉田にとって大きなテーマだ。

東日本大震災被災地での乳幼児訪問

吉田の歩みには、最初から「社会的弱者を助けたい」という明確な軸があったかのように見える。ただ、吉田いわく「今までのキャリアはすべて出会いと幸運の賜物」。転機となったのは結婚、そして医師10年目で決意したハーバード公衆衛生大学院への留学だったという。

「留学を決めた当時は、産婦人科の臨床現場にいました。仕事も家事も100%頑張っているのに、職場では午後5時に帰る人、家では子どもが起きている数時間しか一緒にいられない母親。つまり、どちらの立場も中途半端ではないかと自ら感じていたのです。子どもはかわいいし、仕事も楽しい。両方とも一生懸命やっているのに誰も褒めてくれないのはなぜだろう、もっと働く母親を認めてほしいと、今思えば狭い了見ながら、そう強く思っていました」

仕事と子育ての葛藤の中、大学院留学というあえて険しい道を選んだ理由、それはこれまでの原体験にさかのぼる。

ページ: 1 2 3 4

サブコンテンツ