医師インタビュー企画 Vol.1 黒川 清
僕は既定路線を進むしかないと思い込んでいる学生や若い医師たちに、人生の選択肢の広さを、身をもって示したかったのです。

すべてを投げ打って帰国

医師インタビュー企画 Vol.1 黒川 清

実力がフェアに評価されると言えば聞こえはいいが、要は熾烈な競争社会。医師のライセンスをとり、UCLAの教授の職を得るのが言葉に尽くし難い努力の賜物だったのは言うまでもない。そこまでして手に入れた地位や恵まれた収入を投げ打って帰国したのは――。

「帰国するつもりはありませんでした。というか帰国できないと思っていました。ところが、10年以上たって大学の恩師から『これからの東大に必要なのは、君のような人材だ』と懇願されたのです。首を縦に振るまでは帰らないとまでおっしゃっていただき固辞などできませんでした」

祖国は、黒川がアメリカを選んだとき、彼から目をそらせた。しかし、黒川は祖国から目が離せなくなった。海外生活が長引けば長引くほど、日本人であるとのアイデンティティが彼に迫ってきた。無意識のうちに「世界から見える」日本の存在が、とても気になるようになったのだろう。

ステップアップの途上で、アメリカ国内のいくつかの大学から「迎えたい」とのオファーがあったが、子どもたちに母国語を忘れてほしくないと、そのとき土曜日のわずかな時間帯に日本語のテレビ番組が放送されているという理由で、勤務先をロサンゼルスに限定した。

「帰国に際しては、UCLA教授から東大医学部助教授とポストも落ちました。プールつきの自宅から住宅事情の悪い東京に引っ越さねばなりませんでした。それでも1983年、僕は日本に戻りました」

独自の医学教育を展開

医師インタビュー企画 Vol.1 黒川 清

帰国して早々から黒川は、「いちばん気になった」教育に精力を注ぎ始める。アメリカで14年、海外の医学教育も熟知した教育者としての手腕は、東大の医学 教育の現場でいかんなく発揮されていく。学生の短期留学、アメリカ流の講義手法の導入、当時、ハーバード大学医学部で始まった新しい教育「New Pathway」をハーバード大学の教授と学生を招き東大の学生に1週間実体験させるコースを3年間つづけるなど、さまざまな独自の医学教育を展開した。

東海大学では、日米両国の医学教育を経験している彼ならではの教育改革を実行。中でも特筆すべきは、「外の世界」を実体験させるため、米英豪でのクラークシップを行う医学生の数をどんどん増やしていったことだ。

「インターネットも普及し始めていたので、リアルタイムの感想、感情などを感じたままにメールで送るように言い、学生からのメールには、最優先で返事を書きました」

■言葉のハンディがあり、とても苦労しますが、ものすごく勉強になるし、自分が先生やレジデントばかりでなく、看護師さんや患者さん含めてみんなに育てられているのを感じます。■毎朝7時から早朝プレゼンがあり(注:アメリカの多くの病院で、毎日教授の早朝回 診がある)、その準備に追われて2時間しか眠れない日々がつづいています。すごいプレッシャーだけれど、私が英語が下手なのは当たり前だと皆さんが思って いるし、「質問も恥ずかしがらずにしなさい。馬鹿な質問などない。馬鹿な答えはあるかもしれないから(笑)、どんどん質問しなさい」と先生たちが励まして くれます。
「海外で勉強する医学生から送られてくる、学生たちに共通の感想は、『厳しいけれ ど、優しい』、『自分の成長を実感する』。アメリカのレジデントの生活は日本の研修医の厳しさの比ではありません。非常に厳しい環境の中にあっても、優し さを受け止める感性を持ち、英語のハンディを超えながら学生たちが急速に成長していく様子がはっきりと感じられるメールには大いに感動しました。いくつも の面白いストーリーに返事を書くのは、楽しかった。

若い医師の方々には、ぜひ一度でも海外で修行をしていただきたいと切に願います。 僕が海外留学をすすめてばかりいるので、アメリカの医療を全面的に賞賛していると誤解されている方々も少なくないようですが、大きな間違い。外から日本を 見る実体験、日本の医療と比較する対象を持つ機会をつくるのは、僕らの世代がやらねばならない義務です」

「若者の将来をつくってあげないと」――黒川の表情が一瞬、引き締まった。

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