“医師免許を持つ無職”になった緩和ケア医―病とキャリアvol.2(前編)

退職を申し出た2カ月後に、進行性の食道がんが発覚————。緩和ケア医として活躍していた行田泰明先生は、がんの発覚により、完全に職を離れた状態で治療を受けることになりました。闘病意欲と悲嘆・不安、その両方に気持ちが大きく揺れる中、数々の合併症や後遺症を乗り越え、再就職を果たします。前編では、がんが発覚する前のキャリア選択と、がん発覚時の経緯や心境をお聞きしました。(取材日:2019年3月29日)

痛みが取れても、患者さんは嬉しそうではなかった

——現在の専門は緩和ケアですが、もともとは麻酔科医としてキャリアをスタートさせているのですね。

もともと生理学、薬理学に興味がありました。中でも麻酔科は、数字に具体性があり、全身管理を学ぶ学問であること、そして私自身が“痛み”に関心があったのも選択の理由でした。その頃―1990年代初頭は、ちょうど緩和ケアの概念が日本に出始めたタイミング。日本大学板橋病院の後に勤めた癌研究会附属病院(現・がん研有明病院/東京都江東区)では、手術中の疼痛管理に加え、術後の疼痛コントロールにも携わるようになっていました。

——当時はまだ、医療者側も緩和ケアへの関心が乏しい状況だったのでしょうか。

外科でも、「手術をすれば、もれなく痛みはついてくるもの。我慢しなさい」という考え方でした。チーム医療という概念がない時代でしたから、麻酔科の担当医も手術室を出たら関知せず…という状況でした。その頃の私は、モルヒネで痛みが取れれば、患者さんは幸せになると思っていました。けれども、痛みが消失しても患者さんは全く幸せそうではなかった。そこで初めて、がんの痛みというのは身体だけではなく、精神面などを含めた「全人的苦痛(トータルペイン)」だと気づいたのです。
そこから次第に、緩和ケアへと興味が移っていきました。癌研究会附属病院で勤務する傍ら、近隣の要町病院(東京都豊島区)で、積極的治療から外れた患者さんの緩和ケアを担当する――というように、在宅医療にも関わるようになっていったのです。

——麻酔科から緩和医療、在宅医療へと専門を広げたのですね。

そうですね。癌研究会附属病院を退職後は、要町病院の緩和ケア部の部長を務めました。ほぼ“一人主治医”の状態で、多いときは20名以上の入院・在宅の患者さんを受け持っていました。オンコールで病院へ駆けつけたり、在宅の看取りを行ったりするなど、24時間365日、フル稼働の状態でしたね。その後、緩和ケア病棟(ホスピス)の立ち上げ計画に伴い、都内のクリニックに転職。しかし、理想的な環境を作るのが難しいことが判明し、退職を申し出ました。がんが発覚したのは、ちょうどその2カ月後。退職予定日の1カ月前のことでした。

正式ながん宣告は受けていない

——転職時期と重なってのがん発覚ですが、気になる症状はあったのでしょうか。

以前から逆流性食道炎にかかっていましたが、服薬しても状態が悪化する一方、ものを飲み込む時に喉に引っかかりを感じるようになりました。今思えばまさに教科書通りの食道がんの症状ですが、自分のこととなると、そうした考えに及ばず、逆流性食道炎が一部瘢痕化したのだろう、と考えていました。
当時は要町病院でも在宅診療を続けていたので、往診前に内視鏡検査をしてもらいました。モニターの映像をみた瞬間、進行性の食道がんだと悟りましたね。検査をしてくれた癌研究会附属病院時代の先輩医師も、そんな私の様子を見ていました。検査は淡々と進められ、一通り終わった後、私は予定通り往診へ。往診から戻り、医師からかけられた言葉が「どうする、ぎょうちゃん*」でした。
*行田先生のニックネーム

——お互い、暗黙の了解の上での会話だったのですね。

そうですね。なので、実は私はがん宣告を正式に受けていないんです。

——ご家族へはどのように伝えましたか。

妻には、内視鏡検査を終えた後にすぐ「進行性の食道がんだった」とメールで伝えました。兄には電話をして「両親には自分から告げるので黙っていてほしい」と伝えましたが、その後すぐに母親から連絡がありました。大学受験を控えていた長男には、受験に影響しないよう、病名は告げませんでした。

生きたい、死ぬのだろうか…揺れる気持ち

——医療機関として、最終的にがん研有明病院を選択した理由とは。

以前勤めていた職場ということもあり、顔見知りの医師や看護師、事務スタッフがたくさんいたこと、手術件数が多かったこと、麻酔科医の質の高さが信頼できることなど、安心感が決め手の理由でした。
要町病院で食道がんだとわかった後、がん研有明病院で血液検査、内視鏡検査、CT、PETによる検査が進められました。結果は、進行性食道がんのステージIII。縦隔・左鎖骨下リンパ節に転移があり、5年生存率は40%であることが判明しました。また、壁内転移の可能性もあり、その場合は5年生存率が限りなく0%に近くなるという話でした。

——検査結果を聞いた時の心境は、いかがでしたか。

まさに、藁にもすがる思いでした。何かにすがりたい気持ちで、国内外の神社仏閣や宗教施設をまわって願掛けをし、お守りもたくさん集めました。どうにもならないとは分かっていたのですが…。涙もたくさん流しました。
治療中は、闘病への意欲と悲嘆・不安の気持ちが、振り子の様に揺れました。生きたい、死ぬわけにはいかない、患者さんのそばにまた立ちたい、と思う一方で、仕事に復帰できるのか、やはり死ぬのだろうか、もしもの時に家族の生活はどうなるのか――と考えてしまう。両極端な気持ちの揺れは、時間の経過と共に収まり落ち着くのですが、新たな治療が始まれば、その揺れ幅がまた大きくなる。心が安定するまでに要する時間も、状況によって日、週、月と様々でした。(中編へ続く


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