ピアノが育んだ医療の素地──医師と2足のわらじvol.4(前編)

精神科医とピアニストという2つの顔をもつ神田周輔氏。3歳よりピアノをはじめ、ピアニストになることを疑わなかったという神田氏が、医学部受験という選択肢を選ぶに至った理由とは。現在のワークスタイルや、医療の道に足を踏み入れるまでの紆余曲折を聞きました。(取材日:2018年11月17日)(後編はこちら

医療とピアノ、どちらも“ワーク”

──現在はどういった時間配分で働いていらっしゃるんですか?

月曜から金曜まで週5日9時~17時で病院勤務、週1回の当直をしています。月に1回程度は土日を使い、あえて少し離れた地域の病院へスポットにも行っています。法律の運用の仕方やパーソナリティなどに地域差が出るので、おもしろいんですよ。アルバイトというよりは、自分の興味や後学のために行っている感じです。

平日は帰宅後、食事をして20時から22時までピアノを弾きます。この時間はコンサートで弾く曲の練習にあてています。近隣への配慮で22時には大きな音での演奏をやめて、作曲にうつります。いま書いているのはピアノ、バイオリン、ビオラ、チェロという編成のピアノ四重奏曲。ピアノのソロ曲も書きます。その後23:30には寝て、6:30に起きる生活です。

同年代の他科の先生に比べたら余裕のある働き方だと思いますが、僕にとってはどちらも仕事なので、23時くらいまで働いている感覚があります。2つのプロフェッショナルというカテゴライズが分かりやすいと思いますが、私はあまり分けて考えていません。ワークとしては、ひと続きの感覚です。

高校受験時に味わった挫折

──どんなきっかけでピアノを始められたのでしょうか。

実は楽器をやるのも医者なのも、家族の中では私だけなんです。父親は会社員でしたし、母親はいわゆる専業主婦。生まれたのは北海道の札幌ですが、父親の仕事の都合で生後数か月で南富良野町に引っ越して、12歳までそこで過ごしました。両親が僕にピアノをやらせたのは、地元で何か習い事を、と思っていたときにたまたま大手のピアノ教室が近所で見つかった、という経緯だったようです。

それが3歳の時のことですが、当時通っていた教室では3歳の子どもが入るコースがなく、5歳の子ども達に混じって集団レッスンを受けていました。幼かったので、レッスン中も寝たりミニカーで遊んだりと、真面目な生徒ではなかったようです。5歳頃には個人レッスンも始まり、なんとなく続けていました。

転機となったのは、小学校2年生くらいのときに出場したコンテストです。地元の子どもが多く出場していて、私も勧められるままに出てみたら、低学年の部で1等をいただいたんです。そこから、「少し弾けるみたいだ」ということで、札幌の先生のところに週1回通うようになりました。向こうには祖父母がいたので、1両編成のディーゼルの鈍行に1人で乗って、片道3時間半くらいかけて通いました。そのうち北海道地区のコンクールで賞を取るようになって、周りも本気になり始めた、という感じでしたね。

──コンクールでも入賞するようになって、周囲からは将来を嘱望する声もあったのではないですか。

そうですね。高校進学を機に、東京の音楽大学の附属高校を受験しましょう、という話になりました。その頃は1人で新千歳空港から横浜の先生のところに月に1、2回通うようになっていたし、受験のために準備も進めていた。けれど全国からライバルが集まる最後の大会で、最終選考の5名に残ったものの、結局1位を取れなかったんです。

演奏中の神田先生(©︎S.Imura)

本番でも緊張を覚えるようになって、このままピアノをやっていくのが正しい道なのか、という悩みが自分自身にも親にもあったんでしょう。中学3年の11月くらいに、「先行きが不透明な業界に進むことをこの年齢で決めるのはどうなんだろう」と親から切り出されました。

私はもうピアニストになるものだと思っていたのでかなり葛藤しましたが、当時はまだ15歳。自分で自分の人生の舵を取るほどの意志の強さが私にはなかったんです。札幌の高校へ進学することを選び、一旦はピアノをやめました。

──生活が一変したんですね。ピアノはまったく弾かなくなったのですか。

完全にやめました。合唱部の伴奏とかを頼まれてやることはありましたけど、レッスンにも行かず、自主的にピアノに触ることはほとんどありませんでした。

当時は自分なりに傷心していたんだと思います。人生で初めて深い挫折を味わったというか…。ピアノをやめたことに自分でも十分納得できていなかったし、一方でピアノの道に反対する親の言い分も真っ当で合理的だ、と理解できるし…。気持ちを消化しきれないまま、高校に通っていました。

でも、一般的に大学時代が青春、という人が多いとしたら、僕にとっては高校時代が青春。勉強もせず、ピアノも弾かず、部活にも入らず。友達と遊んで3年間過ごしました。ある意味、刹那的な日々でしたね(笑)。

音楽によって培われた“人”への興味から、医療の道に

──医学部に進むに至った経緯を教えてください。

大学受験が近づいたときに、進路について考え、努力したらその結果が自分にも周囲にも返ってくる仕事につきたいと思いました。また、音楽とは人間の人生観や思索に迫っていく側面が強い分野です。だから僕の中に、人のことをよく知りたいという興味がもともとあったのではと今になって感じます。

一方で、自分が既に苦手なもので勝負するのは避けたい、とも思いました。たとえば、法学部に進学したとしても、自分は人より突出して勉強ができる人間ではない。その後に司法浪人しては、結局未来の見通しが立ちません。進路の答え合わせを後回しにするのは、もう嫌だと思ったんですね。

それで、高校3年生で医学部に進むことを決めました。当時は、医学部受験はハードルは高いけど、入ったらみんな医者になれると単純に考えていたのです。周りからは「全然勉強してないのに無理だよ」と言われましたね。実際に無理で、浪人しました。でも、私がサラリーマンになれるわけがないと思っていたし、既に十分悩んだので、そこからは迷わず勉強して、秋田大学の医学部に進学したんです。(後編に続く)

 

【プロフィール】
神田周輔(かんだ・しゅうすけ)
精神科医・ピアニスト
1982年、札幌市生まれ。3才よりピアノを始め、全日本学生音楽コンクール北海道大会第1位、STV青少年音楽コンクールSTV賞など、数々のコンクールに入賞。秋田大学医学部在学中に「秋田なまはげオーケストラ」を設立、同オーケストラの演奏会において団長・ソリストを務める。現在は、千葉県の市中病院で精神科医として勤務する傍ら、首都圏を中心にソロ・室内楽などの演奏活動を行っている。
ホームページ https://shusukekanda.com/

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