医師で歌手、母親として…仕事の流儀――医師と2足のわらじvol.6(後編)

医師と歌手という二足のわらじを履いてキャリアを歩み続けているアン・サリーさん。ジャズ発祥の地とも言われるニューオーリンズへ研究留学をし、2005年に日本へ戻りました。インタビュー後半では、医師・歌手・母親として3足のわらじを履いて挑んだ、帰国後のキャリアについてうかがいました。

帰国後は「人生のリスタート」


――ニューオーリンズで、医師としても歌手としてもいろいろなことを吸収して日本に戻ってこられたと思いますが、帰国後はどのように過ごされたのでしょうか。

私にとって帰国後の毎日は、「人生のリスタート」と言ってもよいものでした。日本での臨床が久しぶりだったということもありますが、結婚もしましたし、子ども授かりましたから。幸い、職場の方々には、母でもあり歌手でもあるという私の事情を理解していただき、非常勤勤務へと転向。特に授乳期間はゆっくり働かせてもらい、子どもが大きくなるにつれて、外来のコマ数を少しずつ増やしていくような形で、現在も働かせてもらっています。

――職場をはじめとする周囲の方々も、活動を応援してくださったのですね。

本当に、ありがたく思っています。

当初は、常勤で働いていらっしゃる先生方に多大な迷惑をかけているのではないかと思い悩むこともありました。自分と同じような境遇の人も見当たらず、誰かにも相談できなくって―申し訳ない気持ちばかりが募っていったのを覚えています。

でもそんな私に、周囲の方々は本当に優しかったんです。「自分がもし同じ境遇だったら、アン先生と同じようにすると思う」とおっしゃる方すらいらっしゃって。「こうなったら悩んでいる時間がもったいない。応援してくださる方のためにも、できる限りのことはやろう」と、気持ちを切り替えることにしました。その日の仕事はその日中に終わらせ、引き継ぎもしっかりと行う。こうした働き方を選んだ以上、流儀を守って働こうと決めたんです。既に私は退局もしていて、厳しく誰かに叱られることも減ったからこそ、大切なのは、自分で自分を律することだと今でも思っています。

――歌手活動の方は、どうだったのでしょうか。

やはり帰国直後は仕事や子育てで忙しく、週末くらいしか時間が取れませんでしたが、ニューオーリンズで録音した音源があったので、それをリリースしたりして、歌手としての活動も、継続していました。

ただ、臨床や家庭生活との兼ね合いもあったので積極的なプロモーション活動はせず、取材などでも積極的な名前出しは避け、できる範囲でやっていこうというのが、今なお続く私の活動方針なんです。特に帰国直後はてんてこ舞いだった分、ライブも回数も少なかったですし、歌手としては「まるで天然記念物のようだ」とも言われるほどでした(苦笑)。

――ちなみに、2007年からは作詞・作曲活動もはじめていらっしゃいますよね。何か心境の変化があったのでしょうか。

それまでは日本でも洋楽を歌っていたのですが、ニューオーリンズでの経験によって、歌詞というものが、歌にとってどれほど大切なものなのか気づいたんです。日本において、日本人を相手に歌うからには、皆さんに自然と伝わる言葉で歌いたい。そう思うようになり、自ら曲作りにも励むようになりました。

――作曲時、心がけていることはありますか。

作為的ではなく、自然におりてきたものをそのまま表現することでしょうか。「こんな人に、こんな風に思ってほしい」といった目的意識に従って作られたメロディや歌詞よりも、忙しさから離れて森を歩いていてふと降りてきた音楽みたいなものの方が、心に残りやすかったりする。結果的に、多くの人の共感も集めるように感じていているんです。

――目的意識を持った音楽よりも、日常のライフスタイルの中から零れ落ちてきた無作為的な音楽の方が人の共感を集めるというのは、面白いですね。

そうですね。
たとえ私が意図していなくても、日頃考えていること、言語化されていないけれども頭の中にあるアイデアや、“私らしさ”みたいなものは、歌詞やメロディに自然と組み込まれてしまうだろうと思うんです。普段から否応なくいろんなことを考えてしまっているのだから、作曲するときや、舞台の上では一度それらをすべて忘れ去って、自然と降りてきた“何か”にすべてをゆだねる。そういう風に歌に向き合いたいと思っています。ライブでも、自分の生き方からにじみ出てくるものを、来てくださった皆さんと共有することができたら、うれしいですね。

紅白歌合戦の舞台裏


――2009年には、紅白歌合戦にも参加されていますよね。

ええ。確か9月か10月頃にいきなり連絡が来たんです。大手のプロダクションに所属しているわけでも、NHKと何か特別なつながりがあったわけでもなかったので、驚きました。担当の方はわざわざ石垣島で開かれた私のライブにも足を運んでくださり、「声が合うと思ったから」と私を選んだ理由をシンプルに教えてくれました。久石譲さんが作曲した主題歌を歌ってほしいという依頼でしたが、とても素敵な楽曲で、応じることにしました。

――当日はやはり、緊張されましたか。

舞台裏は本当にバタバタしていて、「紅白で歌っている」なんて現実味はほとんどなかったのが正直なところです。「本当に私が、紅白に出るのかな」と思っているうちに終わってしまったと言いますか。いまだにあまり、実感は伴っていません。

――でも、紅白歌合戦に出場したあとの反響は大きかったのではないでしょうか。

確かに、それはそうですね。特に高齢の患者さんは、紅白歌合戦をよく見ていらっしゃるようで、驚いたみたいです。「あれ、この人は自分の主治医の先生じゃないか」って(笑)。本人だとは信じられないような人もいたようで、「先生まさか、紅白歌合戦に出ていませんでしたか?」と確認されたこともありました。紅白歌合戦の認知度の高さを実感しましたね。

これからも医師として、歌手として

2017年にリリースした7年ぶり7枚目のオリジナルアルバム“Bon Temps”

――その後、2012年には映画『おおかみこどもの雨と雪』の主題歌をリリースされたり、2013年には初の著作となる『森の診療所』と同名のCDアルバムを同時発売されたりするなど、活動の幅も広げていらっしゃいます。最後に、今後の展望について教えてください。

まず、医師として日々の臨床に丁寧に向き合いたいですね。先ほど申し上げたように、今のような働き方を選んだからには、自分なりの流儀をもって、患者さんはもちろん、一緒に働いてくださるスタッフの皆さんに誠実に向き合い続けたい。
そして歌手としてはやはり、自分の曲をもっとつくっていきたいと思っています。いろんなものがデジタル化され、たくさんの情報が流れていくあまり、自分を見失ってしまう時代。だからこそ、自分の中にあるものにしっかりと向き合う必要があると、私は思うんです。歌うことも、作曲をすることも、すごくアナログで非効率だし、ITが発達する今の世の中では、とても原始的な活動だとも感じます。でもそういう時間があるからこそ、自分が大切にしている価値観や、日常の素朴な幸せに気付くことだってできるはず。これからも医師と歌手の両方をしぶとく続け、自分自身とも向き合い続けたい。そして、こんな私の生き方に共感してくださる皆さんとの時間を、大切にしていきたいと思っています。


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