「ルーティンではダメになる」医師が重んじる習慣――国境なき医師団に参加する医師たちVol.5(後編)

2008年に初めて国境なき医師団(MSF)の活動に参加し、ナイジェリアへと渡った小杉郁子先生。以降、定期的に活動に身を投じ続けているのは、日本の医療機関にいるときとは違う刺激を、現地で得られるからなのだそうです。小杉先生が国境なき医師団に参加するようになった経緯を紹介した前編に続き、後編では、現地でのエピソードを中心にうかがいました。

治安不安定でも、「自分には向いている」

ナイジェリアで帝王切開をした際の様子©MSF

──MSFの活動に参加され、初めてのミッションはどのようなことを担当されましたか。

私が参加した地域・ナイジェリアのポートハーコートは、政治的不穏と貧困のために治安が悪く、医療スタッフも22時~朝7時までは外出禁止になるぐらい、さまざまな暴力事件が頻発していました。2008年1月初めに、原油に関わった騒動が起こったと聞いていたので、外科的外傷が多いだろうと思っていましたが、実際、最初の2週間は比較的落ち着いていました。後半の3週間強は3日に1例程度で、銃創や刺創による急性腹症や胸部外傷などがありましたが、振り返ると、整形外科の患者さんが8割、外科的処置・開腹手術をするような患者さんが2割という割合だったと思います。
ドイツ人の整形外科医に丁寧に教えてもらいながら皮膚移植や顎外傷後患者の 気管切開、人工肛門閉鎖術創の処置なども担当しました。緊急手術は、四肢切断や断端形成、銃弾などの異物除去、脾臓摘出術などを実施。急患の8割が交通事故による骨折患者でした。

──実際に現地で活動してみて、どんなことを思いましたか。

自分には向いている世界かもしれないと思いました。例えば、さまざまな国からやってきた国際派遣スタッフとは初対面ですが、うまくコミュニケーションを取って仕事ができました。習慣や価値観が違うのは当たり前だと思えたのは、ドイツでの留学経験による影響が大きかったからかもしれません。

MSFの参加が1回に終わらず続いている理由にもなりますが、何よりも現地で活動すると、医師としての基本に戻れるんです。ドイツの病院でも日本に比べればクラシックな医療環境で学びましたが、それでも先進国の医療であり、いろんな検査をして機器に頼ります。でもMSFの現場では、レントゲンはきれいに映っていないし、血液検査も検査できる項目が少ない。とにかくモノに頼ることができません。材料がそろわない中で、知恵と経験値と第六感で手術すべきかどうかを考える。日常とは違う頭をものすごく使い、普段いかに自分が基本を疎かにしていたかが分かって、反省できるんです。

──帰国したときのギャップも大きいのでは?

逆カルチャーショックとでもいいましょうか。日本にいると、一生懸命、治そうと治療に協力してくれる患者さんもいれば、残念ながら治療に意欲的ではない患者さんもいて、がっかりしてしまうことがあります。でもMSFの現場で出会う患者さんは生きることにすごく一生懸命ですよ。生きようとするパワーを感じますから。

患者の一言に救われることも

集中治療室での回診©MSF

──特に心に残っている患者さんは?

たくさんいますが、1人目は、ナイジェリアで出会った若い兵士の患者さん。利き腕を銃で撃たれてしまい、骨折もしているし、皮膚がない部分もあるし、動脈はちぎれるなどひどい状態でした。手術はしましたが、腕が腐る可能性は高く、兵士として働けず職を失うかもしれない。そんな状態にも関わらず、「ドクターの仕事を尊敬する」と言ってくれた彼の気丈さに救われた覚えがあると同時に、私は彼が退院する前に帰国に至ったため、その後の彼がどうなったのかを知ることができず、今でも心に残っています。

2人目は、3回目のミッションで行った南スーダンで出会ったお母さんです。患者さんは無差別発砲によりお腹を撃たれた12歳ぐらいの娘さんでしたが、1回目はダメージコントロール手術になってしまいました。「2日後にもう1回手術しなければいけない」とお母さんに説明した時に、お母さんは、「(手術が)たとえどんな残念な結果になったとしても、批判や非難はしません。一生懸命治療してくれてありがとう。神が祝福してくれるでしょう」と声をかけてくださいました。信仰心の深さと娘への愛情が伝わってきて、何とか治さないという気持ちになりました。宗教観の違いもあるのでしょうが、そんな言葉をくださる方は日本では出会いませんから、胸が熱くなりました。その女の子は、私が帰国した後に無事に退院したと聞き、安心しました。

──8年ほど間があいて、再びMSFに参加しようと思ったのはなぜですか?

2008年2月の初参加のあと、ずっと参加したいという思いがあって、市中病院に勤務しながら「2年に1度くらいの間隔で参加できたら」と考えていました。でも、地方の病院でしたし、血管外科医は私1人だけだったので、オファーがあっても休暇を取ることができなかったのです。
大学病院の医局人事で今の職場である福井県済生会病院に移り、上司に相談したところ、彼が周囲を説得してくれて参加できることになりました。嬉しかったですね。MSFへの参加は8年ぶりだったので、2015年末に再登録し、2016年に参加しました。

8年ぶりに参加したイエメンでの活動では、前々任者である日本人外科医から動脈損傷例が多いと聞いていて、実際に動脈損傷を疑う症例だとERから呼ばれて診察のために走っていくということが度々ありました。そのうち浅大腿動脈血行再建が3例、腓骨動脈血行再建が1例、後脛骨動脈血行再建の1例の手術に成功しました。浅大腿動脈を修復できないとゆくゆくは下肢切断に至ることもあるため、手術が成功すると周囲から喜ばれました。8年間の日本での血管外科医としてのキャリアや経験が少しでも役立ったのではないかと思います。
現場には、イエメン人の整形外科医が5人と外科医も5人、麻酔科医もたくさんいて、執刀医を務めるだけでなく、サポート側に回ることも多かったです 。

一方で、3回目に行った南スーダンでは、現地出身の外科医は誰もおらず、私と内科医、麻酔科医だけ。外科的なことは私が一手に引き受けていました。
一番大変だったのは、患者さんが英語を話せないので、スタッフに分かりやすい英語を話して患者さんに現地語で伝えてもらうこと。でも回診の時間はかかるし、伝言ゲームのように途中で内容が変わってないか?と思うことも多々あって…。そうした言葉の壁を感じることはありました。
あとは、科学的根拠のない現地の伝統的医療の治療を受けたいという患者さんを説得するのが大変で、文化の壁も感じることもありました。また、イスラム教国では家長制度がしっかりあるので、患者本人が手術したいといっても、お父さんがOKと言われないと治療や手術ができないという事態にも陥ります。私たちはそんなお父さんのプライドを傷つけないように、通訳を介して説得しなければいけませんでした。

「ルーティンワークでは、ダメになる」

南スーダンのカフェで©MSF

──MSFの活動は日本にいるときとまったく違う頭を使ったり、仕事が発生したりしているように思いますが、定期的にでも行きたいという思いが湧いてくるのはなぜでしょう。

日本にいてルーティンワークのように働き続けていると、自分が医師としてダメになるというか、なまってしまうとずっと思っていて怖かったんです。先ほども話した通り、機材や薬に頼れない環境でどうやって病気やけがを治していくのかと頭をフル回転させるし、言語の違いでコミュニケーションが取りにくく、宗教や文化の違い・問題で手術を拒む患者さんをどう説得しようかと考える。MSFの活動は、特別な技術を学んでいるわけではないですが、自分の力の足りなさを痛感し、反省し、勉強するいい機会になっています。日常で使う脳の引き出しとは違う引き出しを開けている感じです。

日本にいると、ラクしたいな、怠けたいなどと思ってしまう自分がいますが、そんな気持ちも引き締まるし、色々刺激を受けて自分自身がリニューアルされるような感じになり、モチベーション高く日本での仕事に戻れる気がします。だから今後も定期的に参加したいと思っています。

──毎回、自分なりの目標を持って挑まれているのでしょうか。

特別な目標設定はしていません。自分の持っている知識や技術を現地に注ぎ込むつもりのような上から目線でのサポートは失礼だと感じます。ただ、目の前の患者さんを順番に一人でも多く治療することだけに取り組もうと思って、参加しています。

──ロールモデルを参考にしながらキャリアを積み上げていく医師が多い中、先生は既定路線上ではなく、新しいことに一歩踏み出していらっしゃいます。そのモチベーションはどこから湧いてくるのでしょうか。

親からも変わり者だと言われますが、自分のやりたいことが、ほかの方と違うだけだと思います。
私のキャリアを選ぶ判断基準は、やりたいかやりたくないか。目下の悩みはMSFの活動は増やしたいけど、増やした分、外科のスキルが下がるので、そのバランス配分です。もっとスキルを上げるような環境に進んだ方がいいのかとも考えます。
そんな悩みも持っていますが、多少のリスクがあったとしても、やりたいことを我慢する人生はつまらないと思うのが自分流。そのためにはまず一歩前に進むこと、それからやりたいことができるように自分なりの努力をすることが大事だと思います。他人まかせでは自己実現はできないのではないでしょうか。

小杉郁子
血管外科医。福井県済生会病院外科医長。末梢動脈疾患、下肢静脈瘤、下肢リンパ浮腫の治療を得意とする。金沢大学医学部卒業後、ドイツ・デュッセルドルフ大学病院留学などを経て現職。国境なき医師団(MSF)の初参加は2008年2月〜3月のナイジェリア(ポートハーコート)での活動。2016年7月~8月のイエメン(アデン)、2018年7月~9月に南スーダン(ベンティウ国連文民保護区/POC)と定期的に参加している。
【国境なき医師団について】
国境なき医師団(Médecins Sans Frontières 略称MSF)は、紛争や自然災害、貧困などによって命の危機に瀕している人びとに医療を提供する、非営利で民間の医療・人道援助団体。「独立・中立・公平」を原則とし、人種や政治、宗教にかかわらず援助を提供、医師や看護師をはじめとする海外派遣スタッフと現地スタッフの合計約4万5000人が、世界約70以上の国と地域で援助活動を行っています。1971年にフランスで医師とジャーナリストによって設立され、世界29ヵ国に事務局をもつ国際的な組織で、活動資金の95%以上は個人を中心とする民間からの寄付金に支えられています。
1999年にはノーベル平和賞を受賞。MSF日本は1992年に設立され、2017年には117人のスタッフを、のべ169回、29の国に派遣。現在も、活動に協力してくれる日本人医師を求めています。

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