「麻酔科は、外科の助手ではない」『麻酔科医ハナ』に込めた思い

2007年の連載開始以降、麻酔科志望の若手医師に読み継がれている漫画『麻酔科医ハナ』(双葉社)。監修者として、作者のなかお白亜氏と二人三脚で連載に携わったのが、現役麻酔科医の松本克平氏です。「麻酔科医のプレゼンス向上が必要だと思った」と語る松本氏に、制作秘話と、麻酔科医をめぐる問題意識について聞きました。

【編注】
麻酔科医ハナのあらすじは以下の通り。現場目線で、麻酔科医を取り巻く実情について描いている。

「現在の医療崩壊の最大要素のひとつである医師不足の中でも深刻なのが「麻酔科医」不足。その激務と日常を、大学病院の麻酔科医・華岡ハナコを主人公に、時にシリアスに、特にコミカルに、すさまじいリアルさで描く。激務・安月給・セクハラ…きっつい仕事と思いながらも、今日もハナコは元気に麻酔をかけるのだ!」
(『麻酔科医ハナ』 第1巻、発行元・双葉社の紹介文より引用)

麻酔科医になって感じた衝撃

―どのような経緯で、麻酔科医ハナの連載はスタートしたのでしょうか。

連載が始まったのは、2007年。当時わたしは、「麻酔科医のプレゼンスをもっと高めなければならない」と問題意識を持っており、書籍を出すなどして草の根的に情報発信をしていました。そんなとき、漫画を描くのが好きだった同僚と話すうちに、「麻酔科医をテーマに漫画が描けないか」という話に至ったんです。

―なぜ、「麻酔科医のプレゼンスを高めなければならない」という思いに至ったのですか。

正直なところ、麻酔科医としてキャリアを歩む中で、歯がゆい思いをしていたからです。

わたしが医師免許を取得したのは、1982年。当時の麻酔科医は、「外科医の助手」のような立ち位置としてみなされていたように感じます。若手であってもたった一人で手術に参加し、外科医から怒鳴られることもあった。今ほど麻酔科領域のエビデンスも集積されていなかったので、正しいと思っていてもうまく反論できない場面は多かったように思います。看護師から「「麻酔科医の先生は学校に何年通うんですか?」と言われ、認知度の低さに愕然としたこともあります。

朝から晩まで手術麻酔をして、夜、医局に戻ると机の上には翌日の患者さんのデータが山積みになっている――そんな毎日の繰り返しが忙しすぎて、麻酔科医になったばかりのころは何も考えられませんでしたが、2年くらいたつと、モニターの見方も、術野の様子も手に取るようにわかるようになっていきました。そうなると、外科医が行う手技が生体にどんな影響を及ぼしうるか、自分はどうやって対策を打つべきかが分かるようになる。そこまで到達したとき、「外科医の助手」にとどまらない、麻酔科医の存在意義が自分の中で分かってきたように思ったんです。

➖そうした中で、もっと麻酔科の存在意義を認知させたいと考えた。

そうですね。
「麻酔科医のプレゼンス向上が必要」と思った直接的なきっかけとなったのは、大学医局からの派遣で、アメリカのクリーブランドクリニックへの留学の機会をいただいたことです。現地では、麻酔科医が患者さんの入室から外科医への指示だしまで行い、まるで指揮者のように手術を取り仕切っていて、それが手術の安全性や術後経過にも良い影響を与えるという認識が根付いていました。

衝撃的でした。日本でもあんな風に麻酔科医が活躍できたら、きっと患者さんのためにもなるはず。そのために必要なのは、麻酔科医自身がもっと専門性を高め、外科医の言いなりではなく、手術に不可欠な存在なのだということを示していくことだと思ったんです。

麻酔科志望の必読書に

―「麻酔科医のプレゼンスを高めたい」という意図もあって連載が始まった『麻酔科医ハナ』ですが、作中では、救急医療の実情や麻酔科医を取り巻く院内の人間関係なども生々しく描かれ、踏み込んだ問題提起をしているようにも感じました。ストーリーを考えるにあたって、意識したことはありますか。

何か社会に問題提起をしようという意図があったわけではありません。現場で起こっていることを掘り下げていったら、結果的に問題提起のようになってしまったというのが本当のところです。そもそもなぜ、何のために手術を行うのか。麻酔薬を一つ投与するにも、本当に大丈夫なのか。99%の患者さんには大丈夫でも、もしアナフィラキシーが起こったらどうするのか――。わたしたちの現場で実際に起こっていることを見直して、それが何を意味しているのか、一つひとつ考えながら、ストーリーに盛り込みました。

連載がはじまった2007年当時は、カリスマ的な名医が活躍する医療漫画や医療ドラマが流行した時期でもありました。それらと比べると、『麻酔科医ハナ』が取り扱うテーマは、善悪がはっきり分かれるようなものばかりではありませんでしたし、カリスマ的なヒーローも登場しません。ただ、決して派手ではないけれども、現場の麻酔科医の葛藤や思いをしっかりと描けば、きっと誰かに共感はしてもらえるはずだと、強く思っていました。

―実際の反響はいかがでしたか。

連載を開始した『週刊アクション』が30代男性をターゲットにしていたので、当初は現場の医療者から「肌の露出が多すぎるのではないか」というようなご意見をいただくことも多かったのですが、徐々に、「麻酔科医のことが分かった」といった声が一般の方や、医療者から寄せられるようになりました。

麻酔科とは何なのかを説明するために大学の授業で使用してくれた例もありますし、今でも数多くの医学生や研修医たちが、この漫画を手に取ってくれていると聞きます。流行り廃りなく、定番シリーズとして読んでもらえるようになったことは、素直にうれしいです。

『麻酔科医ハナ』が示す、麻酔科医の存在意義

―「麻酔科医のプレゼンス向上が必要」だと先生が考えた1990年代から、麻酔科医を取り巻く環境はどのように変わったと思われますか。

プレゼンスは確実に上がったと思います。麻酔科医が術中の患者さんの状態をコントロールすることで、手術がスムーズに進み患者さんの予後にも良い影響を及ぼすという考え方は、かなり浸透してきたのではないでしょうか。

―麻酔科医のプレゼンスが向上した要因を、どのように捉えていますか。

新薬の登場など医療技術の革新もあると思いますが、やはり、現場の麻酔科医たちが実績を積み重ねてきたことが大きい。高齢化が進み、困難な手術も増えている中で、どうしたら、目の前の患者さんが無事手術を受けられるかを真摯に考えてエビデンスを集積してきたことが、今日の麻酔科医療の体制を作っていると思います。志のある麻酔科医の存在に、少しでも『麻酔科医ハナ』が寄与できているのなら、すごくうれしいです。

―「麻酔科医のプレゼンス向上」が一定程度成功した今、『麻酔科医ハナ』には改めて、どんなことを期待しますか。

「麻酔科医の存在意義は何なのか」を示せるような存在になれるといいと思います。

日々病院で行われる手術行為は、医師から見れば、数あるうちの一つかもしれませんが、患者さんにとっては人生の一大事。たとえ困難に思える場面でも、手術をすればよくなるであろう患者さんが目の前に現れたとき、どうしたらその方が無事、手術を受けられるかを徹底的に考える――それが麻酔科医の専門性だと、わたしは思うんです。

作中に登場する手技や麻酔技術は今後、どんどん古くなっていくのだと思いますが、作中で描かれる麻酔科医の思いや専門性は、これからもきっと変わらないはず。麻酔科医を志す方、現役麻酔科医はもちろん、他科の医師や手術を控えた患者さんまで、この漫画を手に取った多くの方々にとってこの本が、麻酔科医療との原点に思いを巡らせるきっかけになってくれたらと思います。

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