社会人経て医師に 「回り道医師」たちのキャリア

医療界には、社会人経験を積んでから医学部に入り直した医師が意外に多く存在します。「社会に出てから、医療に興味を持つようになった」「医師になる夢をあきらめきれなかった」―その胸中はさまざまですが、社会に出てから進路を変更して医学部に入り直すことは一筋縄ではいきません。彼らはどのような思いで、キャリアを切り拓いていくのでしょうか。
今回取材したのは、早稲田大学出身の医師らで構成される稲門医師会で理事を務める杉原正子氏。自身もIT企業のシステムズエンジニアとして経験を積んでから医師になったという経験を持つ杉原氏は、「回り道医師」だからこそできる貢献があると語ります。

 社会に出てから感じた違和感「機械は愛せない」

―まず、先生自身が一般企業を辞めて「医学部に入り直そう」と考えたところまでの経緯を教えてください。

masako.sugihara1新卒入社したIT企業を辞めたのは、社会人6年目、システムズエンジニアとしての業務にも慣れ、取引先でも人と人のつながりができてきたころのことでした。当時のわたしは、人の役に立てることがうれしく、サービス業が向いていると感じていた半面、ビジネス上の制約もあって会社のサービスの枠組みを超えた貢献がしづらいことに、もどかしさを感じていました。
「仕事で出会う人たちのことは愛せるけれど、商材として扱っている機械のことを、生涯かけて愛することは自分にはできない」と、退職を決意しました。大学の文学の教員になろうと思い、大学院で学びながら、東京都内の高校で国語の非常勤講師として働くことになりました。

―会社を辞めてすぐ医師になろうと思ったわけではないのですね。

そうですね。医師になろうと思った直接のきっかけは、高校で非常勤講師として働いていたときに、医療系志望の生徒に小論文を教えるようになったことです。「脳死の患者さんへの臓器提供について800字で述べよ」「安楽死に関する自分の意見を述べよ」など、医療者でもすぐには書けない課題も多く、もと理系というだけで医療に疎かったわたし自身、知見を深めようと、闘病記を読むようになりました。ところが、気づけば200冊、300冊と読み続け、どんどんのめり込んでしまって―。

―そこで医療にのめり込むようになった。

はじめは自分でも不思議でした。どうして闘病記に描かれている患者さんやご家族の思いに、こんなにも共感したり、気持ちを揺さぶられたりするのだろうか、と。

しかしあるとき、母が病弱で、わたしが生まれる前から病に悩まされていたこと、母とのふれあいの中で、医療が自分にとってとても身近な存在であったことに初めて気づいたんです。自分の原体験に気づいた瞬間、「医師になって医療に貢献したい」という強い思いがこみ上げてきました。高校は進学校に通っていたため、医師になった友人はたくさんいたのですが、自分が医師になりたいと思ったのは、そのときが初めてでした。

―当時、「本当に医師になれるだろうか」といった不安はなかったのですか。

masako.sugihara2医師になりたいと考え出したのが30歳過ぎということもあって、確かに家族からは「難しいのではないか」とも言われました。ただ、やりたいと思ったら、その気持ちは止められませんでしたし、もともと理系だったので、受験勉強のイメージもわきました。医師になって、臨床家として目の前の患者さんと向き合うとともに、医療政策、医療倫理、医学教育などの課題にとことん向き合い、社会に還元していきたい―そんな思いが自分を突き動かしていました。
非常勤講師として働きながら受験対策のため予備校にも通い、山梨大学医学部に一般枠で入学しました。山梨大学を選んだ理由は、都心に出てきやすいため週末に勉強会や学会に参加しやすく、わたしと同様に社会人経験を経て入学する人も多いと聞いていたからです。現在は、医師6年目の精神科医として横須賀市の久里浜医療センターで働いています。

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