福島と東京の2拠点で働き、個人の繋がりの力で世界に発信―谷本哲也氏(公益財団法人ときわ会常磐病院/医療社団法人鉄医会ナビタスクリニック)

鳥取県米子市出身の谷本哲也氏が福島県いわき市の常磐病院に勤めるきっかけとなったのは、東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故。谷本氏は同病院で5年以上にわたって地方都市の地域診療に従事しつつ、東京都立川市のJR立川駅エキナカにあるナビタスクリニックで鉄道網に着目した大都市型の医療提供にも携わるという2拠点型の勤務を続けています。その傍ら、地域の診療経験から発想した最先端の課題を取り上げ、アメリカの『NEJM(ニューイングランド医学誌)』やイギリスの医学誌『ランセット』などに発表。さらに、中国やフィリピン、ネパールなどアジア圏での国際共同研究にも取り組んでいます。世代や専門分野、所属組織や国籍を超えた個人の繋がりの力を重視するという、谷本氏の働き方を取材しました。

転機は、東日本大震災後のひとつの論文

―常磐病院に勤務されるまでのキャリアについて教えてください。
九州大学卒業後、内科の医局に入局し、約10年間西日本にある大学病院や市中病院、国立がん研究センターなどで血液内科を中心に勤務してきました。臨床医としてのキャリアに一区切りがついたとき、違った角度から医療に携わってみたいと思い、医薬品の安全性や有効性を審査するPMDA(独立行政法人医薬品医療機器総合機構)の審査専門員になったんです。そこに所属して4年が経った時に東日本大震災が起こりました。

―東日本大震災がキャリアの転換点になったということですか。
そうです。福島第一原子力発電所が被災し、放射線被ばくの不安が福島県民をはじめ国内外に広がっていました。何か自分にできることはないかと考えた末に、血液内科医として行ってきた放射線治療や造血幹細胞移植の経験に基づいて、大量放射線被ばく事故が発生した場合どう対処したらいいのかをテーマに論文を書いたのです。それが英国医学誌『ランセット』に掲載され世界中にプレスリリースされる、ということがありました。

その後、机上の論理を振り回すばかりでなく、医師として実際の診療現場に立たなければとの思いがあり、多くの原発作業員が滞在しているいわき市の常磐病院で内部被ばく検査の立ち上げに関わるようになりました。いわき市は深刻な医師不足に陥っていましたし、わたし自身も行政的な仕事よりも臨床現場に戻りたい気持ちが強くなり、2011年9月から常磐病院の非常勤医として勤務を始めました。

―現在は、どのような働き方をしているのですか。
常磐病院と東京都立川市の大規模な駅ターミナル施設内にあるナビタスクリニック立川という、2つの医療機関を行き来しながら、主に外来診療を担当しています。ナビタスクリニック立川は、PMDAの職員だった時から週1回勤務をしており、都市生活者に効率的かつ円滑に医療を提供する理念を掲げながら、非常に多くの患者さんを診療しています。週の前半はナビタスクリニックで、週の後半は常磐病院で内科を担当しています。常磐病院にも2016年に血液内科が開設されましたが、医師不足地域ということもあって、基本的には一般内科医としての診療が主体ですね。また、東京と福島のどちらでも「谷本勉強会」という会合を主催しています。

地域の診療経験から見つかる最先端の課題を世界に向けて発信する

―「谷本勉強会」について詳しく教えてください。
所属組織や専門分野にかかわらず、医学論文を書きたい人が集まり、日々の診療や社会の出来事からテーマを考え、論文執筆を進める勉強会です。東京と福島の両拠点で週1回ずつ、診療時間外に開催しており、学生や初期研修医だけでなく、50歳前後のベテラン医師や看護師などのコメディカルも含め、十数名の幅広い参加者と一緒に行っています。また、直接の参加者だけでなく、西日本や海外の参加者ともSNSやスカイプで連絡をとりながら進めています。

先端医療を行う大学病院などでは閉じたピラミッド型組織の中で、それなりの研究費や設備がないと出来ない大規模臨床試験や基礎研究といったトップダウン型の研究を行う事例が多いと思います。一方、わたしたちは個人のフラットな繋がりを重視し、組織に頼らない開かれたネットワークを通じて、地域医療を実践しながら最先端の課題をボトムアップ型で見つけていく方法をとっています。その課題について英語で執筆し、アメリカの『NEJM(ニューイングランド医学誌)』や『JAMA(米国医師会雑誌)』、イギリスの医学誌『ランセット』や科学誌『ネイチャー』など世界レベルの専門誌で発表しています。論文のテーマや種類はさまざまですが、2017年は半年で既に20本以上を発表できるまでに成長してきました。

本勉強会は2012年から始めましたが、数年前からは、福島原発事故に興味を持ってくれた中国やネパール、フィリピン、イギリスの留学生も参加して共同執筆を進めることができています。

―地域での診療から発想して雑誌掲載に至った論文は、具体的にどのようなテーマがありますか。
例えば2017年2月に立川市などで、学校給食に出た「刻みのり」で集団食中毒が起こった事件がありましたよね。感染した患者さんの多くがナビタスクリニック立川を受診されたので、それをもとに、「乾燥したのりでも食中毒が起こる」という論文を執筆したところ、イギリスの感染症専門誌に掲載されました。これは刻みのりによる集団食中毒発症が、初めて英語論文で報告された事例となりました。

また、日々のニュースを敏感にキャッチし、テーマにすることがあります。北朝鮮の金正男氏が殺害された事件を受けて、地下鉄サリン事件の経験も踏まえテロ事件にどう対処したらいいかを議論してまとめた論文は、マレーシアの医学雑誌に受理されました。その他、難民の増加、カトリックと避妊、医療IT、といったテーマについて、イギリスやフィリピン、バングラデシュからの留学生と共同執筆してイランの医療政策専門誌に載ったこともあります。上海の復旦大学とは共同研究を長年進めており、最近は公衆衛生上問題となる側彎症に関する研究を実施しました。ネパールの医療問題についてもイギリスの医学誌『ランセット』、『ランセット•グローバル•ヘルス』で共同発表しています。

このように、わたしたちの勉強会で出てくるテーマは多岐に渡ります。もちろん大学などで行うトップダウン型の研究も大切ですが、地域のクリニックや中小病院にも埋もれている課題はたくさんあるので、それらを見つけ出し世界に向けて発信していくことは大変意義があると考えています。

専門分野や組織に縛られず、フラットな繫がりを重視

―東京と福島を行き来するライフスタイルは忙しそうにも映りますが、ご自身にとってどうですか。
常磐病院では、わたしのように東京といわきを行き来して働いている方は結構多いです。東京からいわきまでは、特急で片道2時間半ほど。通勤できない距離ではありませんし、わたしの場合、移動時間に執筆やSNSでの勉強会メンバーとのやりとり、課題を探るための情報インプットなどができるので、大きなメリットになっています。また、いわき市と立川市の両方を拠点にしていると、年齢をはじめ、社会的背景や価値観が異なる幅広い層の患者さんを診察できるので、自分の知識や経験の幅は各段に広がりました。

わたしは鳥取県出身なので、原発事故が起こらなければ福島県の病院に勤務することは恐らくなかったと思います。しかしながら福島県は、震災や原発事故がなかったとしても、医師が少ない地域。『ランセット』に掲載された論文をきっかけに内科医として関わることができたので、可能な限り勤務を続けたいですね。

また、インターネットやSNSが発達した世の中なので、大学や有名なブランド病院といった大組織に所属していなくても、一流の海外医学誌で発表することが以前よりも容易になってきています。わたしたちのような地域での学術活動は、出世や昇給などの現世利益には必ずしも直結しませんが、人的資本(ヒューマン•キャピタル)や社会関係資本(ソーシャル•キャピタル)を形成し、成長させるためには重要な意義があるのではないでしょうか。

世代や専門分野、所属組織や国籍を超えたフラットな個人の繋がりから生まれる力を重視し、見つけた課題を世界に発信する手法をキャリアの軸の一つに据え、今後も30年、40年と活動を続けたいと考えています。


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