診療科の方針転換 若手医師の思惑とは ―森川暢氏(東京城東病院)

医師7年目に東京城東病院総合内科(現・総合診療科)のチーフとして、診療現場の責任者となった森川暢氏。診療科の方針転換をはかり、総合内科と家庭医療を融合させた総合診療科を目指す意図や今後の展望を伺いました。(取材日:2018年12月19日)

いつの間にか総合診療医の道へ

―総合診療医を志した理由を教えてください。

父が内科医として開業していたので、自然と内科系に進むだろうとは思っていました。学生時代に興味を持った神経内科医になるために、初期研修は、神経内科が有名な住友病院(大阪府大阪市)を選びました。しかし、研修を受けていくうちに、後期研修はひとまず総合診療科を選択し、その後に神経内科に進むことを考えるようになったのです。
その背景には、感染症の診方が全く分からなかったことがありました。頻繁に診る感染症による発熱すら何をどうしていいのか分からないこと、それを今まで全く教えてもらっていなかったことに衝撃を受けたのです。後期研修で感染症内科に進むか、神経内科に進むかを迷っていましたが、結局どちらに進むか決められずにいました。そこでまずは両方を担当している洛和会 丸太町病院 救急・総合診療科で後期研修を受けることにしたのです。総合診療医になることを明確に意識するようになったのは後期研修中ですね。

―なぜ、後期研修中に総合診療医になろうと決めたのですか。

総合診療領域を中心とした若手医師向け勉強会「関西若手フェデレーション(以下、関フェデ)」の運営スタッフになったことが、大きな転機になりました。
わたしが関フェデに初めて参加したのは医師3年目の冬でしたが、4年目には運営代表になっていました。総合診療や家庭医療の道に進みたいと考えている同世代の先生方と一緒に運営するのが楽しく、いつの間にか神経内科に進むという選択肢が消えていたのです。研修先でお世話になった、丸太町病院 救急・総合診療科の上田剛士先生への憧れもありましたね。

―後期研修後に、東京城東病院の総合内科に赴任した経緯を教えてください。

後期研修中、憧れていた志水太郎先生(現・獨協医科大学病院 総合診療科 診療部長)に会いに行ったことが契機となりました。志水先生が関フェデの立ち上げ人だった関係で、交流があったのです。わたしが医師5年目の夏に、志水先生から「東京城東病院に総合内科(現・総合診療科)を立ち上げるから、一緒に来ないか」と声をかけていただきました。

わたしは奈良県出身で、大学も研修先の病院も関西圏内。正直、関西から出るつもりは全くありませんでした。しかし、志水先生に声をかけていただいたことが純粋に嬉しく、診療科の立ち上げにも興味があったので、当院の総合内科(現・総合診療科)開設のタイミングで赴任しました。

医師7年目で、診療科の方針転換をはかる

―貴院は、総合内科と家庭医療が融合した総合診療科を目指しているとのことですが、当初からそのような構想があったのですか。

当初は内科急性期に強い診療科を目指していたので、現在の方針とはかなり異なりました。立ち上げに加わったスタッフの多くも、わたしを含めて内科急性期の経験者。約130床ある病棟を急性期病棟として機能させていく予定でした。ところが、志水先生が別の病院で総合診療科を立ち上げることになったこと、新専門医制度での内科基幹施設の認定が下りず、総合診療専門医研修プログラムの基幹施設になったこと、働き方改革の影響などから、方針転換せざるを得ませんでした。

当院に赴任した翌年、わたしは総合内科(現・総合診療科)チーフになり、実質的な診療現場の責任者となりました。同時期にわたし自身が、日本プライマリ・ケア連合学会で家庭医の先生方と仕事をする機会が増え、病院でも家庭医療を取り入れていく必要性を感じるようになったのです。当科にも家庭医療専門医が1人いて、彼から学ぶことが非常に大きいとも感じました。病院でも、高齢の患者さんや複雑な社会的背景を持った患者さんはたくさんいます。そのような患者さんに対して、エビデンスや理論だけで診療するのは限界がある――。そのようなとき、家庭医療的アプローチが解決策の1つになると考えたのです。

そして大都市では、当院のような小規模病院は、地域包括ケアシステムの中でハブ的な存在になることが、役割の1つだと考えました。そこで、3病床のうち1病床を地域包括ケア病床として運営し、総合内科と家庭医療を融合した総合診療科を目指すことにしたのです。

-診療現場の責任者という立場は、苦労も多かったのではないですか。

そうですね。医師7年目でチーフになるとは全く思っていませんでしたし、病院や地域に必要とされる診療科を確立し、認知度を高めていくことは想像以上に難しかったです。年次が近い後期研修医との接し方や指導にも悩みましたね。教育する立場になるものの、自分もまだまだ勉強する身。それでも後期研修医を教育し、現場を回すためにマネジメントしていくことは大変でした。

―そのような環境下における、森川先生の原動力とは。

スタッフ2人と協力しあいながら、総合内科の方針転換をはかり当科を総合診療科として存続させられたこと、そして後輩の成長を見られたことです。地域からのニーズを実感できたことも、大きな原動力になりました。わたしは週1回、外勤先で訪問診療を行っているのですが、その診療所の先生から「城東の総合診療科がなくなったら困る」と言われたことがありました。このように、当科がなくてはならない存在になっていることを知った瞬間は、本当にうれしかったです。

病院総合診療医の価値を証明したい

―今後の展望はどのように描いていますか。

地域住民の健康を支えていくためにも、総合診療科の医師数を増やし、診療の質と量を安定させていきたいですね。実はこれまで、当院は赤字でしたが当科が開設されてから2年目には黒字に転じています。今や当科がなくなると、病院閉鎖にもなりかねません。当科を牽引する人材を増やし、教育体制まで整えることで、当院のさらなる経営改善にもつながり、より一層地域に貢献できる病院になれると考えています。

研究にも力を入れたいですね。病院に総合診療医(病院総合診療医)がいることで診療の質や経営を改善できることを証明すれば、病院総合診療医の地位確立の後押しになるからです。巡り巡って病院総合診療医という道に行き着いたわたしですが、病院総合診療医の発展にも力を尽くしていきたいですね。


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