バツイチ子持ちの麻酔科医が、中東へ行った理由―国境なき医師団に参加する医師たち vol.2(前編)

「国境なき医師団に応募しようと思う」。息子の受験が一段落し、娘が大学を卒業するタイミングで子供達にこう告げて、国境なき医師団に応募し、国際医療活動を開始したのが、橋本裕美子氏です。離婚を経験し、幼い子供二人を抱え八年間のブランクを経て復職。シングルマザーと医師の両立に苦労してきたという橋本氏。50代で国際医療活動に踏み出した理由と、現地での活動を経験したあとの今の心境について伺いました。

離婚に生活苦…波乱万丈の30-40代

――国境なき医師団(MSF)に参加される前のキャリアについて教えてください。

医師としてのキャリアは、整形外科から始まりました。研修医時代の2年間で、整形外科の基礎とともに麻酔科や救命救急センターでの勤務を経験し、外科系の知識を得ました。その後整形外科医と結婚し、麻酔科に転科。手術をする側から、周術期に患者さんを総合的にサポートする仕事にやりがいを見出しました。

30歳で初めての子供を妊娠しましたが、重症妊娠悪阻と診断され、勤務中に入院してしまいました。その翌日、上司が病室にやってきて、ベッドサイドに退職届の用紙を置いて去っていきました。昨今、女性の働き方が話題になることが増えましたが、当時は、女医が子供を産み育てつつ働き続けることへの周囲の理解や協力が得られにくい時代だったように思います。

主婦となり、2人の子供を出産。その後、夫の海外留学に随行し一家でドイツやアメリカでの生活を経験しましたが、帰国後離婚。子供達を育てるために職を得る必要に駆られ、以前の職場に頼んで週2日の勤務からスタートしました。肩書のない復職でしたので無給のままでしたが、ブランクあけで受け入れてもらえただけでも有り難かったです。その後アルバイトに出してもらえるようになるまでは、自身にかけていた保険を解約して糊口をしのぎました。

何とか経済的に安定し、仕事と子育てが両立できるようになった頃、今度は定年後にボランティア活動で海外生活を送っていた父が末期ガンと診断されました。帰国し北海道に戻った父を看取るため二年間お世話になった大学病院を辞し、子供たちを連れて私も北海道に移住しました。
父が他界したのち、フリーランスで働ける首都圏に戻り、今に至っています。

重い腰を上げさせた、先輩の言葉

――波乱万丈の人生ですが、MSFに参加したいと思ったきっかけは?

幼い頃、私は父の仕事の関係でカナダに住んでいました。9歳のときに帰国することになったのですが、私は3歳年上の兄と2人で羽田行きの飛行機に乗せられ、両親はそのまま世界一周旅行に出掛けました(笑)。3歳のときからカナダで生活していましたので、
日本の記憶が全くない状態での帰国。大好きなカナダを断腸の思いで離れました。今でも私のアイデンティティーは、日本とカナダの中間、太平洋の真ん中にあるような気がしています。いつかカナダに「帰りたい」と真剣に思っていましたし、カナダで医師になる方法を調べたこともありました。それは相当困難だと知り、断念しましたが。こんなバックグラウンドがあるので、医師として海外で働いてみたいという思いはずっと胸の奥に残っていたのかもしれません。

首都圏に戻って働き始めてまもなく、ふと思いついて、前々から興味があった「国境なき医師団」について検索してみました。そこで日本人医師が活躍していることを知りました。「日本の医師免許でも海外で働けるんだ!」と、さっそくホームページから説明会への参加申し込みをしました。その後足掛け2年、機会があれば説明会に参加する、という日々を過ごしました。

――2年間も、説明会に通い続けたんですか?

はい。日本人医師も海外で働けるのだと分かり、いずれ行きたいとは思っていたのですが、そこからなかなか腰が上がらなかった。子供たちはまだ高校生と大学生。老親もいる。ただ、とにかく何らかの形でMSFと繋がっていたいという思いがあって、説明会には通い続けました。

そんな何回目かの説明会で、65歳の定年を機に、MSFの活動に何度も参加されていらっしゃる菅村洋治先生のお話を伺う機会がありました。そこで、「この説明会に参加しているひとのうち、実際に応募する人は本当に少ないんですよね」とおっしゃったその一言が、胸に突き刺さりました。まるで自分に向かって言われたような気がしました。

説明会では毎回、家族をどうやって説得しましたかという質問とともに、英語の習得方法を尋ねる質問が多く聞かれます。ところが自分には、そのハードルはない。そのことと、菅村先生の言葉に後押しされ、説明会に参加するという段階で止まっていた気持ちが、一歩前へ進んだように思います。
ちなみに、現地では国際スタッフの国籍はまちまちで、多くは母国語が英語ではありません。一緒に働いたオーストラリア人医師でさえ、独特のなまり(?)があり、お互いに“I beg your pardon!?”の応酬でした。ましてや地元の医師やスタッフの中には英語が堪能なひとは少ないので、平易な単語をゆっくり話すことになります。流暢な英語は、かえって通じないのです。

話を戻すと、参加するにはタイミング的にも良かったんです。娘は海外の大学を卒業して夏に帰国する、息子は大学受験を終えている。そのタイミングで、週4日通っていた病院が夏で閉院することになった。これは、天から「行ってらっしゃい」と言われているような気がしました。

必要な書類をそろえ、2017年の春にMSFに応募。そこからはMSFは非常に迅速に動いてくださり、こちらの希望通り、娘の帰国後の日程で派遣が決まりました。

「派遣先はイラク」そのとき子どもたちの反応は

――そして、2017年7月にイラクに派遣されますが、情勢による安全性への不安や、家族の反対はなかったのでしょうか?

長年にわたる経済制裁や戦争が原因で、医療体制が壊滅している中東に行くことには、当然、不安はありました。現地の状況が知りたくて、インターネットでもかなり検索しましたが、残念ながら目ぼしい情報はほとんど得られませんでした。しかしMSFのホームページや説明会では、紛争地から無事帰国されている先生方の生の声に触れられます。皆さんの元気な姿を拝見すると、「みんな紛争地に何度も行かれていて、そのたび元気に帰って来てる。きっと大丈夫!」と思うようになりました。

イラクにて、現地の医療者と©MSF

自分が理解・納得できると、家族にもきちんと説明できるもの。娘にMSFの活動のためにイラクに行くと話すと、反対するどころか、「メソポタミア文明の素晴らしい遺跡があるところだ、いいなあ」と羨ましがられました(笑)。でも、息子には当初「行くのはやめてくれ」と反対されました。心配からの言葉でしょうが、私に何かあったら学費はどうなる?という懸念もあったのかもしれません(笑)。

そこで、私と入れ替わりでイラクから帰国する日本人麻酔科医からのメールなどで、大きな家を借りて派遣スタッフみんなで住んでいることやWi-Fiが繋がっていて、現地と普通にメールがやりとりできることがわかり、息子は安心したようでした。

そうして、2017年7月に派遣期間約2ヵ月の予定で、イラクに向け飛び立ちました。

【国境なき医師団について】
国境なき医師団(Médecins Sans Frontières 略称MSF)は、紛争や自然災害、貧困などによって命の危機に瀕している人びとに医療を提供する、非営利で民間の医療・人道援助団体。「独立・中立・公平」を原則とし、人種や政治、宗教にかかわらず援助を提供、医師や看護師をはじめとする海外派遣スタッフと現地スタッフの合計約4万5000人が、世界約70以上の国と地域で援助活動を行っています。1971年にフランスで医師とジャーナリストによって設立され、世界29ヵ国に事務局をもつ国際的な組織で、活動資金の95%以上は個人を中心とする民間からの寄付金に支えられています。
1999年にはノーベル平和賞を受賞。MSF日本は1992年に設立され、2017年には117人のスタッフを、のべ169回、29の国に派遣。現在も、活動に協力してくれる日本人医師を求めています。

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