シングルマザー女医が我が子に伝えたいこと―国境なき医師団に参加する医師たち vol.2(後編)

女手一つでの2人の子育てに一段落ついたタイミングで、国境なき医師団(MSF)に参加し国際医療活動を始めるようになった橋本裕美子氏。初めてのミッションで見た現地の光景、現在の心境について聞きました。

「どうか撃たれずに、誰も撃たずに、大人になってほしい」

――先生が派遣された2017年のイラクでのミッションについて教えてください。

何より驚いたのが、私がMSFに参加するきっかけとなった菅村洋治先生がチームにいらっしゃったこと!ミッションが重なったのは一週間だけでしたが、あの説明会で私の背中を押してくださった方と一緒に仕事ができたのも、何かのご縁だと思いました。

診療所での仕事は、もっと不自由を強いられるかと思っていましたが、薬剤は潤沢で、手術道具もひと通り揃っていました。最新の医療機器に慣れている若手医師は、多少不便に感じるかもしれませんが、現場の声を汲み上げ、必要な物品は揃えようという姿勢でしたし、私自身は仕事をするうえで何の問題もなかったですね。

イラクにて、現地の医療者と©MSF

チームは、イラク人のドクターが2人、その下に同じくイラク人の麻酔助手が3人、そして手術室の看護師が数人いました。MSFのルールに従って、現地の若手医師が独り立ちできるように指導することも私たちのミッションでした。

手術は1日10~15件程度でしたが、大半は包帯交換や洗浄・デブリなどを全麻下で行うものでした。そこで気になったのは、手術室ナースたちに、清潔・不潔の概念が乏しいことでした。英語の通じない彼女たちに、身振り手振りやホワイトボードに絵を描いて、こちらの意図を伝えようと努力しましたが、オペ室内にはハエが飛び、患者さんの身体にはウジがついているような状況でしたので、過度に神経質になる必要はないな、と思うようになりました。
患者の多くは、大人が始めた戦争に巻き込まれた、罪のない子供たちでした。一方、お年寄りの姿が非常に少なかったことも印象に残っています。イラクの平均寿命は70歳に届きません。運転免許の制度もなく、だれでも運転できてしまうため、交通事故も多く、ひき逃げの被害者も度々病院に担ぎこまれました。緊急手術は、銃や地雷による外傷のほか腸チフスの穿孔も多かったです。

普段は、保安上の理由で病院と住居の往復以外の外出は許されませんでしたが、その徒歩数分の通勤途中でも、機関銃を持って歩いている子供の姿を見かけることがありました。一方で、そんな子供たちと楽しく交流したことも懐かしく思い出されます。キラキラした瞳のイラクの子供たちには、銃器の被害に遭わずに無事大人になってほしいし、また、他者を撃つことなく一生を過ごしてほしい。今も切にそう願っています。50度の酷暑の中、一緒に走り回って遊んだあの子供たちに、いつかまた会いに行きたいです。

イラクにて、現地の子どもたちと©MSF

――1日のタイムスケジュールを教えていただけますか。

8時15分の回診に間に合うように起床して身支度します。朝ご飯は各々で用意。ほしい食材などがあると、ホワイトボードに書いておけば、現地のスタッフが買ってきてくれます。アイスクリームなども町の商店に入荷すれば買ってきてもらえました。ちなみに、卵は炎天下の路上で売られており、買ってきたあとも現地スタッフはそれを棚に置きっぱなしにします。発見し次第冷蔵庫に移していましたが、鮮度が心配で私は卵を一度しか使いませんでした(笑)。

朝は9時から手術を開始。昼食と礼拝の時間が必要なので昼には必ず2時間の休憩を取ります。そして、午後再び手術開始。予定された手術がすべて終わってから夕回診があり、そのあと住居に戻って、コックが作っておいてくれた夕食をみんなで食べます。現地のコックが作ってくれる昼食や夕食はほんとうに美味しかったです。特にチキンのシチューやピーマンのひき肉づめは、今でも食べに行きたいほどです(笑)。
夜は読書をして過ごしました。菅村先生が帰国される際にくださった阿刀田高さんの『コーランを知っていますか』(新潮文庫)を、帰国する日までの日数を計算して、毎夜大事にだいじに10ページずつ読みました。

イラクにて、手術の合間の風景©MSF

日本にいる時と決定に違うのは、洗濯や掃除、ゴミ出しもする必要はなく、自分のことだけすればいいこと。普段家事の多くを担っている医師にとっては、特にMSFの活動はオススメです。家事から解放され、仕事に専念できる環境はなかなかいいものでした。

一歩踏み越えたからこそ会える人がいる

――参加して、医師としての考え方は変わりましたか?

50代半ばでの参加だったせいか、それはあまりないですね。ただ、未知の領域に踏み込んだことで、日本だけで仕事を続けていたのでは到底得られなかった体験をしましたし、多くの友も得ました。それが参加したことの最大の収穫だったと思います。そんなに恐ろしい現場ではないのだということも一度体験すればわかりますし、次からは家族の説得も容易になります。

イラクに飛ぶ前は、MSFの活動は、戦争や途上国の困窮などによるケガ・病気の人を助けることが目的であり、それは何というか、ネガティブな現実を背負いながら頑張る活動だというイメージがありました。でも現地に行くと、そうした悲壮感漂うことばかりではなく、たのしい思い出もたくさんできました。紛争の激化で人々が避難し、飼い主を失った犬たちがたくさんいたのですが、彼らはいつもそのやせ細ったしっぽをいっぱい振って一緒に歩いてくれました。病院の近所には爆撃を免れた一軒の家があり、そこの子供たちは私を見かけるといつも“Yuu Mii~”と大きな声で呼びかけてくれました。まだまだ復興はこれからの国ですが、いつかMSFの支援なしでやっていける日がくることを切望しています。
そもそも私は、「自分の命を賭してでも果敢にアタックする!」というような、血気盛ん
なタイプの人間ではありません。扶養すべき家族もありますし。なので、命がけでミッションに行く、というようなことはできません。当初MSFにはそのようなイメージを持っていましたが、実際に説明会に参加しミッションに行ったことによって、それが決死の覚悟を必要とするものではない、ということがわかりました。現地の活動や生活を楽しむ余裕がありましたし、また機会があれば、そして状況が許せば、また行きたいなと思えるようになりました。派遣前は「これが最初で最後かな」と思っていましたが。

MSFと関わりを持ったことで、イラク人はもちろんのこと、ミッション前の研修でも韓国やロシアの医師らと知り合い、その後も親交が続いていることもうれしい収穫でした。勇気を出して一歩踏み出した先には、各々強い信念をもって人生を歩んでいる人々がいて、彼ら出会えることも、人生の財産になると思います。

私が自分の子供たちに常々伝えていることがあります。それは「死ぬときに、楽しい人生だったなと思えるように生きてほしい」ということです。人生は一度きりですし、いつどうなるか、わかりません。私自身、海外での医療ボランティア活動はもちろん、常に自分のしたいことを意識し、毎日を大切に生きたいと思っています。
チャンスが巡ってきてタイミングが合えば、また新たなミッションに参加できるかと思います。今夏も短期でしたが、ミャンマーで活動してきました。これからも少しずつでも前へ進み、自分の視野がさらに広がるような生き方をしたいと思っています。家庭と職場の往復という小さな世界で一生懸命生きてきた私ですが、視野が足元から遠くへと向くようになったのは、MSFに参加したからかもしれません。

【国境なき医師団について】
国境なき医師団(Médecins Sans Frontières 略称MSF)は、紛争や自然災害、貧困などによって命の危機に瀕している人びとに医療を提供する、非営利で民間の医療・人道援助団体。「独立・中立・公平」を原則とし、人種や政治、宗教にかかわらず援助を提供、医師や看護師をはじめとする海外派遣スタッフと現地スタッフの合計約4万5000人が、世界約70以上の国と地域で援助活動を行っています。1971年にフランスで医師とジャーナリストによって設立され、世界29ヵ国に事務局をもつ国際的な組織で、活動資金の95%以上は個人を中心とする民間からの寄付金に支えられています。
1999年にはノーベル平和賞を受賞。MSF日本は1992年に設立され、2017年には117人のスタッフを、のべ169回、29の国に派遣。現在も、活動に協力してくれる日本人医師を求めています。

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