“専門医”では表現しきれない「田舎のホスピタリスト」を目指して―海透優太氏(若狭高浜病院)

祖父の死後、祖母の一言で福井県高浜町の医師になることを志した海透優太(かいとう・ゆうた)氏。「田舎のホスピタリスト」という耳慣れないキャリアパスの確立を目指し、現在は若狭高浜病院にて研修医教育に力を注いでいます。高浜町の医師になるという夢を叶えた海透氏に、キャリア形成時の悩みと、これからのさらなる目標について取材しました。(取材日:2019年4月6日)

「福井県高浜町の医師」になりたい

―医師を志したきっかけを教えてください。

父は福井県高浜町という人口1万人ほどの町の出身で、父方の祖父が亡くなった時、1年間だけ高浜町に住んでいたことがありました。当時、わたしは小学生でしたが、祖母が「おじいちゃんも高浜でちゃんとした医療が受けられていたら……」という話をしていたことを覚えています。当時の高浜町の医療がどのような状態だったのかは分かりませんが、その話を聞いて、漠然と高浜町の医師を目指そうと考え始めました。

いま、わたしが「高浜町の医師」としてのキャリアを歩めているのは、医学生のころに出会った方々からの影響が大きいですね。福井大学医学部に進学後は、全国各地の総合医療に取り組む医療機関を見学しました。中でも、この高浜町で、井階友貴先生の地域住民と行政を巻き込んだ取り組みを間近で見られたことが、今の道を選んだ大きなきっかけだったと思います。

”どこで誰のための医療をするか”を大学卒業前に考えた時、改めてわたしは「高浜町に住む全ての人が安心して暮らせるような医療を展開し、健康に寄与することが自分の使命」と定め、大学を卒業しました。

―すると、高浜町に赴任するために必要なスキルを身につけることを前提に、キャリアアップしていったということですか。

その通りです。高浜町に戻ることを目標に、初期研修先やキャリアパスを逆算して考えました。

高浜町で診療できる能力をつけるには、子どもから高齢者まで、慢性期から急性期まで、さらに病気だけでなく怪我も診られなければならない、そのためにはある分野の深さを求めるよりも、幅広い分野を学ぶ必要がある。そう考えて、さまざまな診療科で柔軟に研修させてもらえる宇治徳洲会病院を初期研修先に選びました。初期研修後は救急総合診療科で1年半、整形外科で3年半の研さんを積ませていただき、合計で7年間の研修をさせていただきました。

―高浜町の医師になるというキャリアに悩むことはありませんでしたか。

途中、医局に属して大学病院で整形外科専門医を取るかどうかは悩みましたね。しかし整形外科専門医を取得するためには、大学で研鑽を積む必要がある。同じ時間を過ごすなら、高浜町にどっぷり浸かって地域のために医師をしたいと思い、医師8年目で当院に赴任することを決断しました。

整形外科の診療が楽しくて、正直、専門医を取るかどうかはかなり悩んで、行き詰まっていました。そんな時にふと、井階先生を思い出して、井階先生なら何かいいアドバイスをくださるかもしれない、と思ったんです。

大学6年生以来、約10年ぶりに井階先生にお会いしました。先生とお別れするころにはもう「高浜でお世話になります」と伝えていました。井階先生は高浜町出身ではありませんが、とてもニコニコしながら高浜町のことを話されていました。高浜町のことを愛していないと、こんなにもニコニコしながら町のことは話せないでしょう。そんな井階先生を見て、わたし自身、学生の時に井階先生のように地域を愛する医師になりたいと思っていたことを、改めて思い出したのです。自分も高浜町のことは大好きですから、これからの時間を専門医としての診療に費やすのではなく、高浜町に戻り地域に浸かり、そこに住む人々へ医療を提供しようと決断することができました。

―そして2017年に福井県高浜町の若狭高浜病院に赴任。今は研修医への教育に注力されていると伺いました。

わたしは、「田舎のホスピタリスト」を確立したいと考えています。どういうものなのか、多くの医師にはイメージしにくいかもしれません。「田舎のホスピタリスト」は、外来から入院までを包括して診なければなりませんし、多様な能力が求められます。

たとえば高浜町では、患者さんを高次医療機関へ搬送する際には隣の市まで30分、時には1時間以上かけて移動を要するため、患者さんやご家族に大きな負担をかけてしまいます。患者さんやご家族の中にはなるべく高浜町唯一の入院施設である当院で過ごしたいと思う方もたくさんおられます。そのニーズに応えるためには、当院の医師である自分たちの知見を広げ、自分たちで対応できる疾患を増やし、地域で治療を完結させる能力を高める必要があります。

もちろん、自分たちにできない治療までおこなってしまって、患者さんへ不利益が被ってはいけませんので、自分たちの持つ能力の限界を正確に見極める力も必要です。あとは、慢性期、急性期にかかわらず、疾患管理能力や、フレイルという人生の変遷もおさえて、患者さんに寄り添うスキル、看取りのスキルを身につけることも必要ですね。

このようなことは歴代の先生方がすでに取り組んできたことですが、まだ学問として体系立っているわけではありません。しかし、総合診療が発展してきている今、「田舎のホスピタリスト」も医師のキャリアパスの1つになるはずです。地域ごとにニーズは少しずつ異なりますが、医師が少なく医療資源が十分整っていない地域で求められる共通項はあります。それを学問として落とし込み、後輩たちに伝えていく――つまり「田舎のホスピタリスト」についての教育こそが、わたしの高浜町での役割の1つと考えています。

これまでの若狭高浜病院の先生方のご尽力のおかげで、JCHO関連病院や日本赤十字系列の病院、福井大学、京都大学などから、年間30名を超える初期研修医が当院で1カ月の地域医療研修を受けています。この流れを受け継ぎ、さらに発展させていきたいと考えています。

※ JCHO:独立行政法人地域医療機能推進機構

初日から研修医をニックネームで呼ぶ理由

―現在、教育で最も意識していることはどんなことですか。

ここに来る研修医の多くは、1ヶ月の研修期間でやってきます。研修期間が2年間あれば少しずつ時間をかけて教えられますが、1カ月間だとそうはいきません。いかに伝えたいことを伝えきるか、毎日、全力で、必死で考えます。これが最も意識していることでしょうか。

1分1秒も無駄にできませんから、初日からニックネームで呼ぶことで、研修医との距離を縮めるようにしています。どんどん伝えたいことを共有し、研修医からのアウトプットを追求していきます。こちらが全力投球していると、研修医たちも全力でぶつかってきてくれますね。

地域医療のメインストリームを目指して

―海透先生は今後、高浜町でどのようなことを実現していきたいと考えていますか。

1つは、前述の通り「田舎のホスピタリスト」を確立すること。もう1つ、大学6年生の時に心に決めた「高浜町に住む人もこの町で働く人も、全ての人が幸せに暮らし、適切な医療を受けられるようにする」こと。これに尽きます。

そのために院内では教育に携わりつつ、誰かが当院で一生懸命考えて残してくれた良いアイデアや仕組みを自分がいる限り継続し、それらを高浜町に住む人たち全てに還元していきたいですね。

現在、井階先生と共に、行政と連携して「たかはまコミュニティケアコンソーシアム」をつくり、行政、医療、住民それぞれの意見を吸い上げて反映させた町づくりを進めています。

どのようにしたら行政、医療、住民の三位一体で町づくりをうまく進められるか。地域が潤い住民が安心して暮らせる町にするには、どんな意見を吸い上げれば良いのか。そういったことを「高浜モデル」として世の中に提供できたらと思います。

わたしたちが取り組んでいることには正解がありませんし、時々、町の人たちにとってプラスになっているのか分からなくなり、今の方法で続けていて本当に良いのかと悩むこともあります。

それでも、わたしはいつも、「We are mainstreaming it!!」を忘れないようにしています。これは友人が作った造語ですが、自分たちが今進んでいる道は脇道かもしれない、しかし、あとに続いてくれる人が増えればどんどん道幅が広がって、いつかはメインストリームになる――そんな思いを込めています。SNS 等の文章の最後にもいつも書くようにしています。高浜町で良いことを1つずつ続けていれば、人が集まり、いつしか地域医療のメインストリームになることができているかもしれない。それを信じて進みたいと思います。


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