「福島県」タグの記事一覧

地元・福島県で家庭医育成に力を注ぐ理由 ―菅家智史氏(福島県立医科大学)

医師4年目で母校・福島県立医科大学に戻り、家庭医として福島県山間部で研鑽を積み、現在は教育に携わっている菅家智史氏。菅家氏が教育に注力する理由とは――。(取材日:2018年12月1日) 直感とタイミングに導かれて ―家庭・・・

病院のブランドには頼らない! キャリア形成を3軸で試みる医師 ―中山祐次郎氏(総合南東北病院)

中山祐次郎氏は卒後10年間、都内の有名病院にて外科医として研さんを積み、高度な手術も担ってきました。2017年、葛藤を感じながらも、福島県郡山市の総合南東北病院への赴任を決意。そんな中山氏の目指すこととは――?(取材日:・・・

大学医局を出てからの気付き、そして自身の変化――わたしの医局論(4)

小鷹昌明(おだか・まさあき) 大学医局を退き、次の勤務として選んだ場所は福島県南相馬市にある市立病院でした。福島第一原発から23 kmの地点に存在する被災地病院です。赴任して間もなく“あること”に気付き、そこからは医師の・・・

大学医局で、約18年間走り続けられた理由―わたしの医局論(3)

小鷹昌明(おだか・まさあき) 約18年間というそれなりに長い年月を大学組織で過ごしてこられたのは、やり甲斐やモチベーションがあったからこそ。前稿にて、大学病院を辞職するまで経緯を赤裸々に打ち明けてしまった手前、多少の矛盾・・・

退局を段取りよく、円満に進めるために必要なこと―わたしの医局論(2)

小鷹昌明(おだか・まさあき) 前稿でも触れたように、わたしは、「これ以上、大学にいても成長はない」と判断して医局を辞めました。もちろん、そのような結論を導き出すまで、さまざまな葛藤があったことも事実です。今回は、わたし自・・・

医局所属18年の准教授が、「退局」を決めるまで―わたしの医局論(1)

小鷹昌明(おだか・まさあき) 卒後18年間所属していた大学医局を辞し、公的病院での勤務を始めて6年が経過しました。大学病院時代を振り返ると、忙しくも自分を成長させてくれた時間だったと感じています。そんなわたしが、なぜ突然・・・

福島と東京の2拠点で働き、個人の繋がりの力で世界に発信―谷本哲也氏(公益財団法人ときわ会常磐病院/医療社団法人鉄医会ナビタスクリニック)

鳥取県米子市出身の谷本哲也氏が福島県いわき市の常磐病院に勤めるきっかけとなったのは、東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故。谷本氏は同病院で5年以上にわたって地方都市の地域診療に従事しつつ、東京都立川市のJR立川駅・・・

初期研修アンマッチを経て南相馬へ そこで見たもの ―山本佳奈氏(南相馬市立総合病院)

2015年春、福島県南相馬市立総合病院の初期研修医となった山本佳奈氏。関西地方で生まれ育ち、東京を中心に研修先病院を探していたにもかかわらず、最終的に選んだのは福島県南相馬市。東日本大震災の被災地としても記憶に新しい場所・・・

「逃げ道」を「やりがい」に モラトリアムを抜けた医師の挑戦―尾崎章彦氏(南相馬市立総合病院)

研修医時代の経験が、その後のキャリアに大きな影響を与えたという医師も少なくないのではないでしょうか。現在、福島県南相馬市で調査研究・論文発表を続ける尾崎章彦氏もその一人です。外科医として研さんを積むために千葉県から福島県・・・

キャリア30年以上の医師が思う、引退間際の歩き方 ―藤井宏二氏(南相馬市立小高病院)

若手時代とはまた違った思いを実現できる、60代。定年をむかえ、医師として現場で活躍し続けるか、現役を退くかを選択する節目の時期とも言えます。今回取材した藤井宏二氏は2016年4月、福島県の南相馬市立小高病院に赴任。東日本・・・

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