新型コロナの流行下、保健所で働く公衆衛生医師は?
新型コロナの感染拡大に伴い、ひときわ注目を浴びたのが保健所の働きでした。「夜の繁華街対策」といった言葉でも注目された新宿区の保健所で働く中島丈晴先生(2017年入職)は、「保健所での私の主な役割は、通常は、感染症法に基づいて結核やO-157といった感染症の患者さんが届出られたときに接触者調査を行い、蔓延を防ぐことですが、2020年度は新型コロナ対応一色でした」と話します。
多い時には新宿区内だけでも1日100人もの陽性者が出ていたなか、医療機関から報告を受けたら、その都度、濃厚接触者を特定し、PCR検査を行って必要に応じて入院や宿泊療養などにつなげる。そして、自宅療養になった場合には定期的に電話でフォローし、相談に応じる。そうした対応に日々邁進していたそうです。

「新宿区は東京都の中でも、流行も収束も他より一足早いので、目の前で新たな展開が起こり、それに伴って検査体制や入院基準、情報の伝達システムなどがどんどん変わっていくのをリアルタイムで体感してきました。大変でしたが、その分、都や国から応援が来てくれましたし、1年以上が経過し、新型コロナという病気がわかってきた今は、当初に比べれば、対処方法も固まってきました。ただ、そうはいってもまだ新しい感染症です。症例をまとめるだけでも意味のある研究になるので、公衆衛生医師としてやるべきことはまだまだたくさんあると感じています」(中島丈晴先生)
保健所を支える本庁での仕事とは
こうした保健所の働きをバックアップしているのが、本庁の感染症対策部です。医療体制の確保と検査能力の拡大、宿泊療養の整備といった仕組みづくりとともに、記者会見などのメディア対応も担っています。国立感染症研究所への国内留学も経験し、感染症対策に詳しい杉下由行先生(1999年入職)は、2020年4月から新型コロナウイルス感染症対策担当部長に着任し、同年9月からは感染症危機管理担当部長として、都全体の感染症対策を率いてきました。

「想定を超える患者が発生する中、重症者が入院できるよういかに病床を確保するか、夜間も含めていかにスムーズに患者さんを搬送するかといった調整が困難でした。本庁内に入院調整本部を設けたり、相談体制を一本化したり、走りながら手探りでやらざるを得なかったのが正直なところです。 新型コロナはコントロールが難しい感染症。これまでにもSARS(重症急性呼吸器症候群)、新型インフルエンザ、風しんなどのアウトブレイクは経験してきましたが、今回が一番大変でした。だからこそ、この経験を今後にいかせると思っています 」(杉下由行先生)
分野も場所も幅広く経験できる、だから成長が続く
さて、ここまで新型コロナ対応の話をしてきましたが、そもそも東京都における公衆衛生医師の役割とはどのようなものでしょうか。
「医師として医学的知識や経験に基づいて、事業の評価や判断を行うとともに、行政の組織の一員として他の専門職や事務職とコミュニケーションを取りながら事業の企画・調整・実施・進行管理を行うこと」と話すのは、福祉保健局技監(局長級)を務める田中敦子先生(1995年入職)です。

「都内に31か所ある保健所、本庁の福祉保健局、健康安全研究センター、教育庁と、活躍の場はさまざま。ただし、東京都ですから、都外に転勤になることはありません。かつ、福祉保健局の中でも感染症対策のほか、医療政策、健康づくり、難病対策、母子保健など扱う分野も多岐にわたり、2~3年ごとに異動をしながら幅広い経験を積むことができます」(田中敦子先生)
なかには、思ってもみなかった経験ができることもあるそうです。感染症対策という専門性を磨きつつ、医療安全や父島の保健所なども経験してきた杉下先生は、次のように話します。
「実は学生の頃には監察医務院にも興味があったのですが、医療安全課長時代に監察医務院の所管もすることになり、思いがけず、当時の夢が叶いました。この幅広さは東京都の公衆衛生医師ならではのメリットではないでしょうか。いろいろな経験が積めるから、常に新たな発見があり、成長することができます」(杉下由行先生)
公衆衛生は、仕事もプライベートもすべての経験が生きる仕事
病気になる前から健康づくりにかかわれることも、公衆衛生医師の仕事の魅力の一つ。本庁の健康推進課で働く長嶺路子先生(2003年入職)は、人生100年時代に向けて、1400万人の都民の自主的な健康づくりをサポートする仕事を行っています。

「今の健康をさらに向上させることを“自分ごと”として考え、より良い生活習慣を身につけてもらうために作成した一つが、「トーキョーウォーキングマップ」です。最寄り駅やシーン(季節を感じる、歴史・文化をめぐる、など)を選ぶと、おすすめのウォーキングコースを紹介してくれるもの。 元気に100年生きるには健康を積み上げることが大切です。そのために今日、明日にできることを紹介したいので、保健師や栄養士、事務職などと一緒に楽しみながら作りました 」(長嶺路子先生)
年代もライフスタイルもさまざまな都民一人ひとりに響く仕掛けを作るには、一人で考えるのではなく、他の職員と経験やアイデアを持ち寄り、現実可能なプランを提案することが大切です。だからこそ、「公衆衛生は、仕事もプライベートもすべての経験がいかせます」と、長嶺先生。
臨床経験はもちろん、介護や子育てといった経験も、都民の暮らし・健康を支える施策を考える上で役立ちます。そして、長嶺先生にはずっと心に留めている経験があるそうです。
「保健所で感染症対策を行っていた頃に、あるホームレスの方が結核になりました。結核になると長期の服薬が必要になるので、目の前で薬を飲んでいただいたり、空の薬袋を集めて確認したり、保健師が中心となってDOTS(直接服薬支援)を行います。その方は入院治療を放棄して路上に戻ってしまったので、保健師は平日毎日薬を届けました。最初は『飲みたくない』と投げやりでしたが、根気強くかかわるうちに『もっと健康に気を使おうかな』と気持ちが変わっていき、1年間の青空DOTSを無事に終えました。
DOTSが、その方にとって社会とつながるきっかけになり、自立に向けた一助となったのです。また支援者の我々もエンパワーされました。このように、本当の健康は、社会とのつながりがあって初めて手に入るもの。この経験以来、個々のニーズに合わせた柔軟で多様な支援の在り方から健康づくり施策を考えるようになりました」(長嶺路子先生)
一時間単位の有休取得や部分休業……両立を支える仕組みも充実
さまざまな活躍の場がある、東京都の公衆衛生医師――。興味はありつつも、臨床経験を積んでからのほうがいいのか、公衆衛生を学んだことはないけれど大丈夫だろうか、などと不安に思っている先生もいらっしゃるかもしれませんが、その必要は全くないと田中先生。
「初期研修後すぐに入ってくる方もいれば、臨床経験を積んでから入ってくる方もいます。なかには、30年近く臨床をやって50代で入ってきた方も。本庁も保健所も身近に公衆衛生医師の先輩がいて仕事はやりながら覚えられますし、研修もありますので、安心してください。公衆衛生医師同士の横のつながりもあって、他の保健所の情報などを得やすいことも東京都の公衆衛生医師の強みだと思います。
臨床経験の診療科にしても、内科、小児科、精神科、脳神経外科、心臓血管外科、皮膚科、耳鼻咽喉科など様々で、どんな診療科でも経験はいかせます
」(田中敦子先生)
また女性にとっても働きやすい制度が整っているという東京都。産休・育休はもちろん、一時間単位での有給休暇の取得も可能で、田中先生ご自身も、係長時代に一人目を、管理職となった課長時代に二人目を出産し、子育てと仕事を両立してきたそうです。
「今は、『部分休業』(※1)や『育児短時間勤務』(※2)など、さらに制度が充実しているので、もっと両立しやすくなっています。男女問わず、個別の患者さんを診るだけでなく地域全体を診る医者に関心をお持ちの方、臨床をやるなかで予防や保健医療の仕組みに関心を持たれた方はぜひ一緒に働きましょう」(田中敦子先生)
※1 「部分休業」は、小学校就学前の子どもを養育するため、1日2時間以内で始業、終業時間を繰り下げ、繰り上げできる制度
※2 「育児短時間勤務」は、小学校就学前の子どもを養育するため、勤務時間を1日3時間55分(週19時間35分)などに短縮できる制度
国民の健康をマルチな観点から支える公衆衛生医師の仕事。約120人の公衆衛生医師が働き、幅広い活躍のフィールドがある東京都だからこそできることがあります。その一方で、公務員としての福利厚生や安定も。公衆衛生から医師のキャリアをスタートすることもできれば、臨床の経験を公衆衛生の仕事にいかすことも、逆に公衆衛生での経験を臨床に戻っていかすこともできます。ぜひ一度飛び込んでみてはいかがでしょうか。
※掲載されている医師の所属は2021年3月時点のものです。