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1万件超の救急車受け入れ、都内屈指のリハビリ施設を擁する苑田会 立ち上げ、抜擢人事、業務量調整…あらゆる医師にチャンスが巡る病院グループ

取材日:2017年4月12日(エムスリーキャリア編集部)

苑田会

 年間1万件超の救急車受け入れを記録する中核病院や都内屈指の複合型リハビリ拠点など、東京都の東北部でドミナント展開を進めてきた苑田会グループ。グループ内で急性期から慢性期、在宅医療までを完結できる“苑田式地域包括ケアシステム”を、創設からわずか40年足らずで構築し、発展を遂げてきた同グループ。その内情を取材すると、医師一人一人にチャンスが巡ってくる文化が見えてきました。

「眼前の患者を救いたい」消化器外科医が救急科を立ち上げ

 苑田会グループの始まりは、1978年。苑田一郎理事長が44床程の小病院を立ち上げました。オープン当初から地域の救急ニーズは強く、最初の5年間で年間1,500件、そこから10年も経たないうちに年間3,000件と加速度的に増加。地域に存在する膨大な医療ニーズに応えていくうちに、12病院、訪問看護ステーション、有料老人ホーム、サービス付き高齢者住宅(サ高住)までを擁する病院グループにまで発展しました。

 現在、グループの中核病院であり、急性期領域を担うのが苑田第一病院です。救急車受け入れは年間1万件超、2015年度の脳卒中患者数は都内2位の実績を誇ります。同院の賀川幸英院長はオープンから約10年経った1988年に入職。当時の様子を次のように話します。

賀川幸英院長
苑田第一病院 院長 賀川幸英先生

「当時から、地域の要望にこたえて様々なことにチャレンジする風土が根付いており、マイクロ顕微鏡を使うなど難易度の高い脳神経外科手術まで対応していました。入職してからこれまでの30年間も、考えは変わっていません。患者さんと話すことはもちろんのこと、救急隊とも積極的に情報交換をし、どうしたら地域のニーズに応えられるのか試行錯誤してきました。その結果、足立区エリアだけでなく、草加・八潮・葛飾区など、広い地域の救急ニーズに応えられるまでに拡大できたと思います。辛抱を強いられるときもありましたが、患者さんのために、諦めないのが苑田マインドなのだと感じています」(賀川幸英先生)

 その苑田マインドを受け継ぎ、同院の救急科を立ち上げたのが木下満弘先生です。専門は消化器外科でしたが、「目の前の患者を救いたい」という気持ちから救急対応にも積極的に携わっていたため、科を新設する際に声が掛かったといいます。

木下満弘先生
苑田第一病院 救急科部長 木下満弘先生

「科を立ち上げた2009年には、隣県からの搬送もあり、救急車受け入れが年間6,000~7,000件に達していました。そのため、コモンディジーズから3次救急レベルまでの幅広い症例を数多く受け入れており、現場でも混乱が見受けられる状況でした。その原因は、各病院・各科を取り持つコーディネート役の不在にあったと思います。

 立ち上げ当初からわたしは、コーディネート役として、院内やグループ病院とのスムーズな連携と、グループ外の病院との信頼関係の構築を意識してきました。特に他院に転送するときは、依頼したい症例を得意とする在籍医を選んでいます。同じ診療科ならどこも同じ、といった扱いはしません。それを続けていくうちに信頼が生まれ、少し無理を言っても『木下が言うなら』と引き受けていただけるようになってきました」(木下満弘先生)

 これまでの取り組みに手応えを感じつつも、「まだ道なかば」と話す木下先生。地域の救急ニーズにはまだ応えきれていないと見ており、今後はより安定的な運営にむけて増員をめざしています。

院内改善に奮闘しながら、得意の手術も

 苑田第一病院が221床ながら1万件超の救急車を受け入れられている理由は、木下先生の尽力だけではありません。同院の目と鼻の先にある苑田第二病院が、救急治療を終えた患者の受け皿として機能しているのです。治療やリハビリを長期で施すこともあり、第二病院の長谷川哲夫院長は患者本位の医療を実現すべく院内改善に奮闘しています。

松原顕次先生
苑田第二病院 院長 長谷川哲夫先生

「院長就任後の2年間、職員に話してきたのは患者本位の姿勢です。そのために、患者さんからの厳しい意見も院内で共有しています。そうすることで、全職員が患者さんとしっかりと向き合い、どうしたら良くなるのかを自分自身で考えるようになります。

 患者さん本位の医療を提供するということは、しっかりと患者さんに向き合って診療をし、最終的に復帰して貰うこと。その考えが皆に根付いているのはわたしたちの特徴ではないでしょうか」(長谷川哲夫先生)

 消化器外科医として長年治療に当たってきた長谷川院長は、院内改善を進める傍ら、グループ内の病院で手術も実施。患者のために、できる限りのことを尽くしています。

40代で新病院の院長に

 適性が見受けられれば、チャンスは巡ってくる――。そんな文化を如実に感じるのが花はたリハビリテーションの院長人事です。患者が増え続ける苑田会グループでは、早期退院・早期復帰を促す“患者の出口戦略”が課題となっており、その一翼を担うのが同院。2016年の新築移転時に院長を任されたのは、当時40代の鴛海元博先生でした。

鴛海元博先生
花はたリハビリテーション病院 院長 鴛海元博先生

「当院の強みは、患者さんの重症度に応じた選択肢の豊富さ。リハビリ後に自宅に戻る方もいれば、隣接するサ高住に住んで当院へ通院する方もいます。ほかにも、院内の障害者病棟に移る方もいます」(鴛海元博先生)

 実はこれまで循環器の外科医として急性期の第一線で活躍していた鴛海先生。リハビリ分野は専門外ではあるものの、マネジメントに対する職員からの評価が、院長職の打診につながったようです。戸惑いながらも引き受けた院長職は、多くの学びをもたらし、新たな想いが去来したそうです。

「正直、以前は『患者さんの命が助かりさえすれば良い』という気持ちも少なからずありました。しかし、ここに来て見たのが、大勢のリハビリスタッフが治療後の患者さんを支えている姿です。彼らの勤勉さ、課題に対して前向きに取り組む姿勢…彼らを支えるのがわたしの役目だと感じています。リハビリスタッフが働きやすい環境をつくり、一生懸命働いたことがグループ全体から評価されるように頑張りたい」(鴛海元博先生)

女性医師、“ふつう”の医師にも活躍のチャンス

 組織の拡大とともに職員が増え続ける苑田会グループでは、一人ひとりに合った機会提供を心掛けているようです。高濱美里先生は、大学病院勤務や海外留学を経て、苑田第一病院の非常勤勤務から常勤医として当直なしの週4日勤務を5年ほど続けられました。業務負担を軽減したいと考えて、花はたリハビリテーション病院がオープンしてまもなく異動したそうです。同グループで勤務したからこそワークライフバランスを見直す機会を得たと語ります。

高濱美里先生
花はたリハビリテーション病院 脳神経内科医 高濱美里先生

「脳神経内科医の私にとって、苑田第一病院での勤務時代は、脳神経外科の先生方との良好な関係、コラボレーションで仕事ができ、さらに経験を積むことができました。現在は、これまでの経験や連携力を生かし、同グループのリハビリ病院に勤務しています。急性期の延長である回復期は、時に患者さんの様態が悪化することもありますが、第一病院、またグループ内の先生方と連携を組みながら診察に当たることができています。当院には、併設の保育園もあり、育児中の先生も働きやすい環境だと思います。(高濱美里先生)

 苑田マインドを「寄り添う心」と表現した高濱先生。患者のみならず職員に対しても寄り添う苑田会の姿勢を感じたのかもしれません。

 チャンスが巡ってくるのは、特別な医師だけではありません。“ふつう”の医師による活躍も期待されています。住宅街の中に立地し、地域と接している苑田会グループでは、患者さんの目線で診療ができる医師が求められています。苑田会グループで整形外科領域に強みをもつ苑田第三病院の三戸康義院長は、スーパースターは求めていないと強調します。

三戸康義院長

「優れた医師は、独りよがりにならず、職員と連携を取って、患者さんを診ています。そうしたことは、スーパースターをめざす医師よりも、普通の医師の方ができるはず。当たり前のことをきちんとできる医師のために、診療の機会や環境を整えていきたいですね」(三戸康義先生)

苑田マインドを受け継ぐ専門医を

年齢や専門などを問わず、一人ひとりの希望と適性に応じたチャンスを与え、拡大の一途をたどってきた苑田会グループ。そこには、今後の課題も――。

それが、在籍医の高齢化です。急拡大の陰では、「地域に寄り添い、諦めない心」を持った苑田マインドを引き継ぐ次世代ドクターが不足気味。専門医で多くの症例に触れたい医師、フレキシブルに働き方を変えながら長く勤続したい医師、地域住民に近い位置で働きたい医師には、一見の価値がある病院グループではないでしょうか。

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