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なぜ成り立つ?“小児科医のユートピア”を目指す土屋小児病院
取材日:2017年8月22日(エムスリーキャリア編集部)
現場の負担を極限まで削減する、徹底的なこだわり
今でこそ、医師の労働環境改善に向けた動きが活発化している医療業界ですが、土屋小児病院の“働き方改革”の歴史は30年近く遡ります。常勤医の負担を極限まで減らすために非常勤医やコメディカル、医療クラークなどを手厚く配置し、「常勤の週32時間勤務」を実現。「夜勤時の割増手当」や「育児早退・育児遅刻制度」も全国に先駆けて開始したほか、2012年には久喜駅から徒歩5分という立地へと新築移転。職員の働きやすさのみならず、通勤のしやすさを意識したという徹底ぶりです。
「不採算部門と言われ数多くの患者さんの対応に追われた結果、人間らしい暮らしができなくなってしまう小児科医も多い。そんな医師にとって、自分のペースを乱さずに働ける当院の環境は魅力的だと思います」(菅谷先生)
こう語るのは、2006年に入職した菅谷直美先生。家族の転勤で埼玉県に引っ越してきた菅谷先生は、育児と仕事を両立できる職場を探す中で同院を知ったそうです。転職活動を通じて、埼玉県内の小児科が苦境にあることを知ったという菅谷先生。だからこそ、立地の良さと現場の働きやすさを意識している同院の魅力が引き立ったと、当時を振り返ります。育児・出産休暇を経て、現在は週3日勤務でありながら社会保険などは常勤と同等の待遇で、外来と病棟管理をこなしています。
「どんなライフイベントがあっても自分のペースで働き続けられることが、こんなにありがたいとは思っていませんでした。
当院が受け持っているのは小児2次救急。小児科医として多くの子どもたちが、元気になって帰っていく姿を見ることは、かけがえのないやりがいです。育児経験があるからこそ、親御さんの漠然とした悩みに応じたりして、自分ならではの貢献をしたいと考えています」
(菅谷先生)
ユートピアの原点は、小児科医としての悔しさ
現場の負荷を減らし、持続可能な形で小児医療を提供する――。こうした体制を目指す背景には、「日本の小児医療の未来を支えたい」という土屋喬義理事長の強い信念があります。
土屋喬義理事長(土屋小児病院)
「わたしが院長に就任したのは、1988年。当時から病院経営者の間では、『小児科は不採算部門だから閉鎖して、老人医療に転換していくべき』という声が聞かれていました。現場の小児科医の労働環境も『きつい・汚い・危険』――いわゆる“3K”と言われ、子どもたちのために一生懸命勉強し、診療に励む現場の医師たちが疲弊していく姿を、残念ながら数多く目にしてきました。
わたしは悔しかった。それと同時に、『小児科がなくなってしまったら、日本の未来はどうなってしまうのか』という強い問題意識を抱きました。こうして考えた末にたどり着いたのが、『小児科医が自分のライフスタイルを大切にしながら、誇りをもって子どもたちのために働き続けられる“ユートピア”をつくりたい』という思いです。」
(土屋理事長)
現場に負荷を強いることなく、小児科単体でも十分に利益を出せる成功モデルをどう構築するのかーーユートピアを作りたいとの思いが根底にあったからこそ、過去に前例のない取り組みに真剣に向き合い、試行錯誤を繰り返してきた同院。人事制度の整備や、院内外の連携体制の確立も、全てはこの思いから始まった取り組みだと、土屋理事長は語ります。
「少子化が騒がれていますが、もしいつの日か政府の政策誘導などによって日本に子どもが増えた時も、「ここに来れば子どもたちが安心して医療を受けられる」と胸を張れるような成功事例をつくりたい。そんな思いがわたしのモチベーションです。」
(土屋理事長)
土屋小児病院・外観
医師が疲弊しない環境を長年考えてきた同院だからこそ、実現できる働き方があります。『これまでの知見を活かして専門外来を開きたい』『将来開業を考えている』といった先生はもちろん、大学医局の後期研修医を受け入れて指導もしているため、これまでの経験を後進に教えたいという先生にも活躍できるフィールドを提供できるようです。
多岐に渡る働き方が提示できる同院で、小児医療を通じ、これからの日本を一緒に支えてみるのはいかがでしょうか。