県の仕組みをつくる仕事と、地域に合わせて仕組みを動かす仕事
目の前の患者を診る臨床では、「病気を診るだけではなく、人を診なさい」と、ときに言われます。さらに在宅医療などでは、「家庭を診る」ことも求められます。一方、公衆衛生は「その先に広がる『地域を診る』仕事」と語るのは、2000年に入職し、現在は医療審議監と、鹿児島県の東側・大隅半島にある鹿屋保健所、志布志保健所で所長を務める四元俊彦先生です。
自治医科大学の出身の四元俊彦先生は、離島やへき地で診療や乳幼児健診、予防接種など幅広く従事するなか、さまざまな立場の人が協力することの大切さを感じ、公衆衛生に興味をもったそうです。
「地域の医療や保健を守っているのは医師だけではありません。特に田舎の診療所で働いていたときには、歯科医師や介護をしている家族、介護スタッフ、民生委員、福祉課の職員、役場の保健師など、いろいろな方が一人の患者さんの生活を守っていることを肌で感じました。そんな地域の方々のコラボレーションをコーディネートする仕事をしたいと思い、公衆衛生医師になりました」 (四元俊彦先生)
鹿児島県の公衆衛生医師は、県庁(本庁)や、県内の13の保健所で活躍し、地域の課題解決のための仕組づくりにかかわっています。
「まず、大きな仕組みをつくるのは国(厚生労働省)の医系技官ですが、国が考えたことをもとに自分の県の仕組みをつくっていくのが本庁勤務の公衆衛生医師の仕事です。私自身も本庁にいたときは、原子力災害医療体制やへき地医療対策、健康増進計画や歯科保健計画、がん対策計画の策定などにかかわりました。いずれも大変でしたが、やりがいもあり、楽しかったことをよく覚えています。そして、国や県がつくった制度、仕組みを実際に動かし、市や町の方々の声を反映させながら、地域に合わせてアレンジし、その地域のやり方を作っていくのが、保健所の仕事です」 (四元俊彦先生)
ワイドなかかわりで、広がる視野とやりがい
種子島にある西之表保健所と屋久島保健所という2つの離島の保健所長を務める亀之園明先生は、小児科医を約20年経験した後、2009年の新型インフルエンザをきっかけに、「感染症対策に、臨床とは違う視点から取り組んでみたい」と、公衆衛生医師に転身しました。
現在は、県の出先機関である熊毛支庁の「保健福祉環境部長」兼「西之表保健所長」、屋久島事務所の「保健福祉環境課長」兼「屋久島保健所長」として、保健所業務に加えて福祉関係の責任者も担っています。さらに、種子島、屋久島地区の産業医として県職員の健康を守っています。そんな亀之園先生が、現在、特に関心を寄せる一つが災害時の保健医療福祉活動です。
「ちょうどDHEAT(災害時健康危機管理支援チーム)の制度ができた頃に県に入職し、熊本地震では親交のある保健所が苦労している姿を見聞きしていました。昨年の能登半島地震の際は石川県庁でのDHEAT活動に参加し、そうした経験から、災害に向けた備えの重要性を感じています。今年8月には、九州ブロックDHEAT協議会で、鹿児島における大規模災害の発生を想定した訓練を予定しています。その幹事として準備を進めているところです」 (亀之園明先生)
入職して11年。“地域を診る”という幅広い役割だからこそ、さまざまな人と連携し、視野が広がることが公衆衛生医師の魅力の一つ、と亀之園先生は言います。
「市町村の保健師さん、地域の病院、医師会、歯科医師会、薬剤師会、学校など、いろいろな業種の方と連携します。臨床医時代も多職種連携はありましたが、その範囲が広がりました。その分、自分自身の視野も広がります。また、目の前の患者さんだけではなく、多くの人に影響を与えることも、公衆衛生医師のやりがいの一つです。臨床のように成果がすぐに見えるわけではありませんが、いろいろな職種の人たちから学び、協力し合い、じっくり取り組んでいきたい人に向いていると思います」 (亀之園明先生)
2年半の期間限定のつもりが、面白さに目覚めた
小児科専門医を取得した後、2023年10月から保健所で働く井無田萌先生の場合、きっかけは「地域枠」でした。地域枠で鹿児島大学医学部に入学し、その義務勤務の実務実習と離島・へき地勤務の場所として保健所を選んだのです。鹿屋保健所で半年間の実務実習を行い、2024年4月からは志布志保健所で母子保健や精神保健、難病対策、感染症対策などに携わっています。
地域の医療機関ではなく保健所を選んだのは、「学生時代、公衆衛生の勉強が嫌いではなかったことと、小児科は児童虐待や乳幼児健診、予防接種など行政とは切っても切れない関係にあるので、保健所がどんなところか知っておきたかったから」と、井無田先生は言います。当初は、義務勤務が終われば臨床医に戻るつもりだったものの、今は「行政の仕事も面白くなり、どうしようか悩んでいるところ」だそうです。
「入職当初は、一緒に働く保健師さんたちが当たり前に使う用語や法律がわからず戸惑いましたが、保健師である上司に誘われるまま、いろいろな打ち合わせに参加するうちに、わからないことの調べ方がわかるようになり、自分の意見を伝えられるようになってきました。今は、小児科医という専門性をいかして、地域の小児慢性特定疾病の患者さんの交流会を企画しているところです。
臨床医時代は、一人ひとりを治せば集団の幸せにつながると考えていました。でも、県の施策がより良いものに変われば、もっと多くの人を幸せにすることができます。また、臨床のなかで行政のやりかたに不満を抱くこともときにありました。保健所勤務であれば、そうした意見を拾い上げて県に上げることで、より良い施策につなげられます。
小児科医として学ぶこともまだまだあるので、当初は臨床に戻るつもりでしたが、今は行政の仕事も面白くなってきて悩んでいます。まだ答えは出ませんが、たとえ2年半の勤務を終えて臨床に戻ったとしても、将来的にはまた県の保健所に戻って公衆衛生に携わりたいと思っています」
(井無田萌先生)
働きやすいから長く続けられ、経験が力になる
今は医師の働き方改革が進んでいますが、公衆衛生医師は「もともとオンオフのメリハリがあり、当直はなく、土日はしっかり休めて、ワークライフバランスが整っている」と話すのは、加世田保健所で4人のメンバーを束ねる疾病対策係長を務める四元太一先生です。四元太一先生の場合、同じく公衆衛生医師として働く父親の姿(前述の四元俊彦先生)を子どもの頃から身近に見ていたこともあり、自然と今の仕事に至ったそうです。
現在、4歳と6歳の2児の父親でもある四元太一先生は、「家にいる時間をつくれることは大きい」と話します。
「夕方6時半には家に帰っているので、ご飯も一緒に食べられますし、お風呂に一緒に入ることもできます。土日も家族の予定を立てやすく、家族との時間をとれるのは子育て世代にとってはうれしいですね。同僚のなかには時短で働いている保健師さんもいますし、有休も時間単位でみんな気軽に取っています。子どもの熱が出れば、急遽在宅勤務に変えたり、看護休暇を取ったりもしやすい職場環境です。
民間の医療機関に比べれば給与面は目劣りするかもしれません。でも、働く環境の良さを考えればいい職場だと思います。僕は、臨床も好きで、田舎の診療所勤務も好きでした。ただ、公衆衛生医師であれば、視力が衰えたり、手先が思うように動かせなくなったりしても続けられます。そして、長く続けるほど、経験が力になる仕事です。この先も数十年続く医師人生を考えると、長く働けて、医師が足りていないからこそ地域のためにやれることも多くある、やりがいのある仕事だと思います」
(四元太一先生)
種子島、屋久島、奄美大島・・・・・・島の医療にもかかわれる
産休・育休、介護休暇などの休暇制度、退職金や年金制度など、地方公務員として福利厚生が整っていることも公衆衛生医師の利点です。さらに、鹿児島ならではの特徴といえば、離島勤務があります。県内に13ある保健所のうち4つが、種子島、屋久島、奄美大島、徳之島という島にあるのです。
「島の中だけで医療が完結しないこともあり、不便さもありますが、島暮らしをしてみたい人にとっては大きなチャンスだと思います」と話す亀之園先生は、種子島を拠点に、週に1回、1泊2日で屋久島に行く生活を続けています。
また、以前には、「屋久島で働きたい」と、定年まで長く屋久島保健所で勤務していた先生もいたそうです。
公衆衛生医師になる前に屋久島の診療所でも勤務経験のある四元太一先生は、「最高でした」と当時を振り返ります。
「診療所のあった永田は、人口400人足らずの小さな集落で、行き交う人はみんな知り合いという環境でした。当時は子どもがまだ1歳で、みんなが『先生の子ども』と気にかけてくれ、子育てはとてもしやすかったです。運動会やお正月など地域のイベントも経験でき、家族全員にとっていい思い出になっています」 (四元太一先生)
経験年数に合わせてステップアップ、研修も充実
鹿児島県に公衆衛生医師として入職すると、医務技師、技術主査、係長級、補佐級、課長級、部次長級とステップアップしていきます。ただ、医師としての経験年数や年齢によって、スタート時の役職は変わります。
8年の臨床経験を経て公衆衛生医師に転身した四元太一先生の場合は、技術主査から始まり、1年経って係長になったそうです。「今後も、1年に1つずつぐらいのペースで役職が上がり、2、3年後に課長級として保健所長になるのかなと思っています」と、今後を展望します。一方、40代、50代など、経験年数の長い医師の場合、課長級から始まり、保健所で実務経験を積みながら、国立保健医療科学院で3カ月学び、入職から1、2年で保健所長を務めてもらうこともあります。
臨床医から公衆衛生医師に転身する際、業務や視点の違いに不安を抱くこともあるかもしれません。でも、「特に入職1、2年目は色々な研修に行かせてもらいました」(亀之園先生)、「研修の希望はほぼ認められるので、先日も東京の研修を受けてきました」(四元太一先生)と、外部の研修も活用しながら実務に必要な知識を身につけていくことができます。
公衆衛生医師として25年のキャリアをもつ四元俊彦先生は、今後は、医師をはじめ、公衆衛生人材の育成に力を入れたい、と語ります。
「一人ひとりの健康と幸せをイメージしながら、地域全体を幸せにする対策を打つのが公衆衛生です。若い人も、豊富な臨床経験をもつ人も、県内の人も県外の人も、ぜひ一緒に働きましょう。保健所は、専門知識をもつ人が集まったプロフェッショナルな集団です。みんなと力を合わせ、医療だけではなく、保健や福祉、介護など幅広く理解しようとする気持ちのある人に来ていただければと思っています」 (四元俊彦先生)
鹿児島県160万人のウェルビーイングを支えるのが公衆衛生です。地域全体の健康や予防に興味のある方、臨床のなかで抱いた課題を解決する仕組みを考えたい方、ワークライフバランスを整えながら地域に貢献したい方――、まずはWebでの相談や説明会に参加してみませんか。