国の研究機関から母校へUターン
仲間と共に地方から成功事例を生み出していきたい

教授 神谷 元
三重大学医学部卒業。東京・聖路加国際病院小児科で研修医を務め、感染症対策の道へ歩みを進めるためアメリカのサンディエゴ郡の保健所予防接種課で研修・勤務。アメリカの公衆衛生大学院で博士号を取得した後は米国疾病予防対策センター(CDC)で研修後に帰国。2014年から国立感染症研究所感染症疫学センターで疫学研修や感染症対策に従事して、2024年に三重県にUターンし、現職。
三重大学医学部を卒業後、研鑽を積むために東京で小児科の研修医として働いた私は、感染症で命を落とす子どもたちを目の当たりにし、感染症対策の重要性を痛感しました。その経験からアメリカで公衆衛生を学び、帰国後は国立感染症研究所で働きましたが、新型コロナウイルスの流行を機に地元三重県で感染症対策チームの構築を決意しました。その背景には、一人でやれることは限られているからこそ、これからは自分が知っていること、経験したことを伝え、志を共にできる仲間と一緒に、地域で感染症対策のチームを作っていきたいと想いがあったためです。
三重県は穏やかな人々と自然豊かな環境が魅力で、コミュニケーションが取りやすく、地域住民と協力して感染症対策を進めるには理想的な場所です。私はここで成功事例を作り、それを全国に広げることをめざしています。三重県では仲間と共に地域住民の健康を守る活動が可能であり、これは他の地域にも広げていけると信じています。
また、三重県は日本の中心に位置し交通アクセスも良好です。都会に比べて多少の不便さはありますが、それがかえって自然との共生や人間らしい生活を実感させてくれます。UターンやIターンを考えるとさまざまな不安が出てくるかと思いますが、思い切って飛び出して、経験しながら道を模索するのも良いかと思います。医師として人々の健康を守るという目的に向かって自分を見つめ、臨床分野でも公衆衛生でも、これだというものを見つけてください。
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島の生活もストレスゼロで満喫
ICTの力で離島、へき地医療の新しい未来を描く

所長 小泉 圭吾
自治医科大学卒業。2009年から神島診療所に2年間勤務したのち、国内外でへき地医療について学びを深め、2015年に現職。少人数の医師と看護師で複数の離島やへき地医療を支えるためにオンライングループ診療ができるシステムを導入し神島で実践。三重県医療保健部 へき地医療総括監・三重県地域医療研修センター(METCH)センター長を兼任。
三重県松阪市出身の私は、自治医科大学を卒業後、国内外での研修・勤務を経て、現在は鳥羽市の神島診療所の所長を務めています。神島は小さな離島で、住民との距離が近く、私のことも島民として接してくれています。診療所では往診や学校医の仕事に従事しているほか、近隣の離島、鳥羽市内のへき地診療所でも勤務しています。
離島やへき地医療は人口減少と高齢化が進む中、持続可能な体制が求められています。鳥羽市ではクラウド型電子カルテと遠隔診療支援システムを導入し、オンライン診療を活用して少人数の医師と看護師で複数の離島を支える仕組みを整えました。またへき地では看護師が重要な多様な業務を担い、重要な存在となっているため、研修などで人材育成も進めています。
離島勤務は一人きりで大変だと思われがちですが、島民から医療的な問題をはじめさまざまな面で頼ってもらえることがやりがいとなっています。コロナ禍以降、オンラインでの学びの機会が増えたため、医師としての技術を磨くことも可能です。あまり離島勤務前に過度な不安を抱え過ぎず、その場で必要なことを学んでいくのが良いと考えています。
現在は島外から神島に通っていますが、神島に住んでいた時を振り返って「楽しかった」と家族で言っていますし、現在も充実した生活を送ることができています。今後もへき地医療の現実と向き合いながら、課題を解決するビジョンを描いていきたいと思います。
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生活に合った働き方で
2児の子育てと医師のキャリアを両立

助教・研究医長 伊藤 亜紗実
三重大学医学部卒業。三重大学医学部附属病院救急科に所属し、主に集中治療に携わる。患者さんの回復意欲をより感じられる集中治療領域にのめりこむ。子育てをしながら大学院に進学し、2児の育児と医師のキャリアを両立する。
私は愛知県出身で三重大学を卒業しました。当科では救急外来から集中治療まで一貫した診療体制を整え、多職種が連携して患者の治療に当たっています。救急医療は患者が回復していく過程を間近で見られるやりがいのある仕事です。一刻一秒を争う場に多職種や他科のチームも関わる救急のチーム医療ではそれぞれが対等に意見を出し合い、連携することがカギとなります。その点、三重県では、医師と患者、教授と学生の壁が低く、コミュニケーションが取りやすい環境であると感じています。
働き方の面でも、チームワークの良さと周囲の理解を得られやすい環境であるからこそ、不安なく子育てとキャリアアップを両立できています。産後、上司からの助言をいただき大学院に進学した際には、子どもがいてもできるような研究内容を提案していただき、学びの多い有意義な時間を過ごせました。
また、三重県は自然豊かで温暖な気候が魅力です。休日にはキャンプや釣りなど自然の中でリフレッシュできるため、生活環境にも非常に満足しています。のんびりとした空気が流れる自然豊かな場所での子育ては、私が思い描いていた理想そのもの。仕事と両立しながら心底満足した子育てができるのは、職場と自然に恵まれたからこそだと思うので、この環境に感謝しながら、今後も医師としてスキルアップし、三重県の医療に貢献していきたいと思っています。
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総合診療医となり地域医療を支えるホスピタリストへ転身
人材育成にも心血を注ぎ、住民の健康を守っていく

副部長 谷崎 隆太郎
埼玉医科大学医学部卒業。宮城厚生協会坂総合病院で初期研修し、国立国際医療研究センターで感染症のフェローとして研修したのち、地元へUターン。三重大学を経て、市立伊勢総合病院で病院総合診療医を務めながら三重大学医学部・教養教育院非常勤講師も兼任。人材育成に力を入れ、地域を支える仲間を増やすため活動を続ける。
私は三重県志摩市出身で、埼玉医科大学を卒業後、宮城や岐阜、東京での研修を経て、2015年に地元へUターンしました。三重県で後進の教育・育成の観点での貢献をめざし、三重大学の家庭医療学講座で総合診療を学び直したのち、現職の市立伊勢総合病院にて総合診療外来を開設しました。当病院は柔軟な働き方が可能で、育児休業や家族行事への参加も容易にできる環境があります。この環境が整ったことで専攻医が集まり、総合診療医が増加しています。
総合診療は多様な健康問題に対応できるスキルを持ち、地域住民との距離も近く、地域医療に貢献する充実感があります。高齢化が進む日本では、多疾患併存や慢性疾患などの課題に対し、プライマリ・ケア医の充実が重要です。三重県では「三重総診(三重大学医学部附属病院総合診療部)」や「MMCプログラム」など、人材育成の場が豊富で、オンライン勉強会も活発化しており成長を実感できる場が整えられています。
暮らしの面では、多様な文化と豊かな自然に恵まれているほか、海の幸や山の幸はコストパフォーマンスが良く、テーマパークや釣りスポットも充実しています。日々の生活に直結する衣・食・住環境の豊かさがここはあると感じます。
元々は地元三重県のために・・・と思って帰ってきた私ですが、総合診療に長けた人材の育成に携わりながら、田舎から世界へ発信するアカデミックな活動も続けていきたいと考えています。どんな場所でも人を救うことは可能ですが、多くの魅力に溢れた三重県にお越しいただければと思います。
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