「一秒を救う。一生につなぐ。」の病院コンセプトが息づく
2014年の新築移転を機に整形外科の専門病院から「整形外科と救急を核にした病院」へと病院運営の舵をきり、鹿児島県内で不足していた外傷救急を中心に様々な救急患者を受け入れてきた米盛病院。全国10病院ほどにしかないハイブリッドER(CTと血管造影装置を有する救急初療室)を導入したり、補助金なしで民間医療用ヘリを運航(年間出動件数約300件)したりと、先進的な取り組みを行うことで急成長を実現してきたそうです。こうした発展的な環境で外傷外科や災害医療を学びたいと3年前に入職した一人が倉田秀明先生(救急科)です。
「前職までは、もっと早く病着していれば助かったのに…と悔しい思いをすることもしばしばありました。そんななか、米盛病院はヘリコプターやドクターカーを駆使して迅速かつ適切に搬送し、ハイブリッドERで1秒でも早く治療していた。病院コンセプトの『一秒を救う。一生につなぐ。』という考え方にとても共感できたんです。
実際に設備を見学したら、最高クラスのものが整っていて驚きました。ヘリポートからハイブリッドERまでの導線もよく考えられていて、目標到達時間は3分。おそらくこれは世界最速です。ハードだけでなく救命に対して熱い想いを持った医師や多職種も揃っており、まさに病院コンセプトを実現できると感じましたし、米盛病院なら3分の壁を超えられるとうなずきました。今後もガイドラインを踏まえつつ、ハードの性能を極限まで引き出すためのチャレンジを日々続けていく予定です」(倉田秀明先生)
脳神経救急を充実させることで少しでも早い救命につなげたいと入職した井上泰豪先生(救急科・脳神経外科)は、米盛病院を選んだ理由を次のように話します。
「実は入職前に、米盛理事長にお願いをしました。『給与額は勝手に決めてくれていいから、必要な設備を入れてほしい。そしたら入ります』と。そのとき理事長は私の想いを受け止めてくれました。
救急に強い病院は全国にいくつかありますが、自分の考えに共感してくれた上で、これまで学んできた救急・脳神経外科・集中治療・外傷などを最大限に発揮できるのは今考えても当院しかなかったと思います。入職当時、私が得意とする脳神経救急は発展途上でしたが、それでもここで働きたいと強く感じました。ここまで病院コンセプトに基づいて先行投資している病院は全国でも珍しいのではないでしょうか。
当院にはまだまだ成長性があると思っています。脳神経救急への体制が次第に整ってきて、救急搬送件数も脳神経外科の手術件数も増えてきています。とはいえ1歩目を踏み出したばかり。まだまだ医療の質を高めていけますし、全国トップレベルの医療機関を目指したいですね」(井上泰豪先生)
圧倒的な症例数に、全国からも集まる医師たち
救急科のプレホスピタル施策、ハイブリッドER・民間医療用ヘリの導入といった取り組みにより、救急件数は急増。看板科である整形外科も整形外傷の症例が増え、病院全体の症例数は年間3500件にのぼります。症例の割り振りに年次などは関係ないため、「数多くの症例を診て、早く成長したい」という医師にうってつけの環境です。山﨑大輔先生(整形外科)もその一人。会社員経験を経て、医師に転身した山﨑先生。米盛病院のような環境での研鑽はハードなはずですが、それでも同院を選んだ理由について、次のように明かしてくれました。
「会社員時代から発展途上国への支援に関心があり、将来は途上国や紛争地の医療に従事しようと考えていました。その時、日本で見られても恥ずかしくないレベルの医療が提供でき、どこでも通用する医師になっていたいんですよ。だからとにかく経験を積んで早く成長しておきたかった。
当院はまさしく”外傷の総合病院“です。市内の救急搬送における整形外科疾患の4割ほどが来ますから、症例数は圧倒的で、とにかく成長のチャンスが多いです。これだけの数をこなせるのは、麻酔科の対応が丁寧な上に素早く、5~6列対応できることもありますが、どの科の医師も看護師も技師も、それ以外のコメディカルも、患者のために率先して動けていることが大きいと感じています」(山﨑大輔先生)
とにかく成長して素晴らしい医師になりたい――。そんな想いを抱いて入職したのは山﨑先生だけではありません。12年前、「優秀な外科医師になるために、圧倒的な経験が積める環境に身を置きたい」と考え、同院にやってきたのが水島正樹先生(整形外科・関節グループ)です。まだ医師6年目で、米盛病院には執刀する整形外科医が5人ほどしかいない時期でした。
「慣れ親しんだ地元や医局を離れる不安はありましたが、米盛理事長の親身な心遣いもあって、自分の将来を考えた末、入職を決意しました。
入職してすぐに年間200件以上の手術を1人で担当し、現在は年間380件以上の手術を執刀しています。これだけ経験してもなお、日々知識や手技が洗練され続け、自分が提供する医療の質が高まることを実感できます。
この12年間で様々な経験をさせていただきました。当院が医療交流を行っている中国北京市の大学病院での定期外来診察や手術指導が縁で、中国における外国人医師免許も受験し取得しました。13回の国際学会発表や、イタリアミラノ市の病院での人工関節手術留学をきっかけに、EHS(ヨーロッパ股関節学会)におけるinternational memberに選出いただきました。私は現在関節グループに所属していますが、脊椎変性疾患の手術治療も行い、入職後6年(卒後11年)で脊椎脊髄外科指導医にも認定されています。成長やモチベーションを支え、様々なことに挑戦させてくれる環境はとても魅力的です。忙しいですが日々充実しています。精神的にも鍛練を積め、人間的にもタフになった気がします(笑)。
現在は患者さんが術後安心して20年を送れる環境を構築することを目標としていますが、まだまだ成長の余地があります。私が経験させてもらえた分、後進にも同様に目を掛けてチャレンジができ、病院とともに成長できる環境をつくっていきたいと思っています」(水島正樹先生)
20年後を見据えて人材、ハードの充実を
「叶えたいこと」を持った医師たちが集まる米盛病院。そんな同院のカルチャーは「責任のある自由」だと、米盛公治理事長は言います。
「高度急性期のニーズは2040年頃まで伸び続けることが予想されます。その20年後に向けて人材もハードも揃えないと、南北約600㎞、多くの離島を有する鹿児島の医療を支えることは難しいと考えています。だからこそ、先生方のやりたいことを叶える。その代わりに対応できる領域を広げて、しっかりと治療してもらい、地域を支えられるだけの医療が提供できるようになってもらいたいのです。
私自身も、地域に対する責任を果たすための挑戦を続けていきたいですし、何かチャレンジしたいことがある医師は、ぜひ一度そのビジョンを聞かせてほしいですね。例えば山﨑先生のように、『○年後にこうなりたいから○年間はここで腕を磨きたい』というような医師が、当院を1つのステージとみなしてご入職いただくことも歓迎します。やりたいことがあればそれを果たすチャンスをたくさん提供したいと思います」(米盛公治理事長)
20年後を見据え、医師も病院もますますチャレンジに意欲的な米盛病院。「成長したい」「やりたいことがある」という整形外科医、救急医はもちろん、救急医療に携わりたい内科医、外科医なども、見学するだけでも損はない病院でしょう。