第一に、地域住民に寄り添う。医療の原点に立ち返るって大切な事じゃないですか。
1982年東京都東大和市生まれ。2010年北里大学医学部卒業。同年からがん・感染症センター駒込病院にて研修、水戸協同病院、National University Hosipital(シンガポール)、Rwanda Military Hospital(ルワンダ)、筑波メディカルセンター、東京城東病院、国立感染症研究所、厚生労働省、INMI Spallanzani(ローマ)、新潟大学ミャンマー感染症研究拠点(ミャンマーオフィス、含Yankin Children Hospital)など各国の感染症現場に従事してきた感染症危機管理の専門家。2020年から福島県立医科大学会津医療センター総合内科学講座に所属し奥会津在宅医療センターを立ち上げ、3町1村の訪問診療を担う。
診療に行く先々でお持ち帰り用の自家製野菜が用意されていたり、理髪店で呼び止められたかと思うとコーヒーを出して下さったり…。先日は事務所近くの住民宅で黒澤映画を見させて頂きました。美味しい夕飯付きで(笑)。また奥会津は温泉が多いのですが、私のお気に入りの場所では250円で入浴できるんです(ランニングマシンも使えちゃいます)。その温泉で住民に会えば、畑の話だけでなく、時には住民から健康相談も受けます。なかには、後日、診療しに行くこともありましたね。
住民との触れ合いを通じて人間関係は自然と構築され、そうすることで何でも相談できる間柄を作ることが地域では重要です。コミュニケーションを楽しめる方が来てくださるとご自身の能力をさらに発揮できると思います。
一緒に地域住民に寄り添い、医療の原点を感じましょう。そのためにも是非、奥会津在宅医療センターへ見学に来てください。医学生や研修医だけでなく、奥会津での在宅医療に興味のある方はいつでもウェルカムです。これまでに高校生や海外の医師も見学に来てくれました。何よりも行動すること、挑戦することの大切さを自分は大切にしています。
課題を知り、あえて地元に残った 臨床・研究の双方で挑戦の機会
1994年福島県三春町生まれ。県内の医師不足の現状を知り、看護師の母の影響もあって医療の道を志す。2016年福島県立医科大学卒。卒業後は大学の医局に所属し、同大学附属病院や会津中央病院、大原総合病院、武田総合病院などの勤務を経て2023年10月から塙厚生病院へ。2020年4月から4年間は母校の大学院で研究に励み、2023年10月に横浜市で開かれた第61回日本癌治療学会で「Yonug Oncologist Award」を受賞。テーマは進行食道扁平上皮がんの免疫両方に関するバイオメーカーの可能性を検討する内容。2022年秋に日本外科学会専門医を取得した。
私は福島県三春町出身なのですが、地元の三春町立三春病院が2008年4月に県立の病院から町の公設民営(指定管理者:星総合病院・郡山市)となった当時、看護師としてこの病院に勤めていた母から、医師不足などによって病院が存続の危機に見舞われた話を聞き、「医学部を目指そう」と思いました。地元の福島県立医科大学に進み、在学中に東日本大震災を経て、医師不足が課題となっていることを知った以上は、他の場所で勤めようとは思えず、県内で勤めました。
女性の外科医は少なく、先輩は男性がほとんどですが、手厚く育ててもらっていると感じます。医師不足はマイナスばかりではなく、私にとっては逆に「行きたい」と願う場に配属していただき、臨床・研究の双方で挑戦の機会を与えられるプラスの面もあると思います。熱意を持った若い医師が一緒に頑張ってくれることを願っています。
10代に「手術室体験」の機会を DMAT立ち上げ災害医療に貢献
1990年横浜市生まれ。医師・医学博士。2014年千葉大学医学部卒。同年から東日本大震災および福島第1原発事故の被災地である福島県南相馬市で医師として勤務を始め、以降は消化器外科医として被災地で臨床医をしながら、福島県内で放射線災害後の健康影響について研究を続けている。2022年福島県立医科大学・大学院医学研究科修了。現在はときわ会常盤病院外科で診療にあたり、消化器外科医としての専門は胃、大腸などの消化管手術。研究者としての専門は、放射線災害時の健康弱者の健康問題全般と医療施設における避難。
いわきでは切実な医師不足を肌で感じています。医師の高齢化は課題であり、現状を変えるには若い力が必要です。ときわ会常磐病院では令和4年度から「手術室体験」という催しを始めました。医師が手技を練習するシミュレーターを使って小・中学生が縫合を体験したり、内視鏡カメラの画像を見たり、手術ロボット「ダヴィンチ」に触れたりするなどして外科治療に理解を深めます。臨床工学技師や看護師の仕事を伝える機会にもなり、私達も楽しく、スタッフが団結できる利点もあります。手術室体験ですぐに医師が増えるわけではありませんが、長い目で見て医療職を志す子どもや若者を増やしていきたいと思っています。
また、福島は災害が多いことも課題です。地震だけでなく水害も多いので、災害現場の医療を研究する立場から、成果を地域で還元していきたいと思っています。そこで当院でも2023年7月にDMAT(災害派遣医療チーム)を立ち上げました。いわきエリアの災害医療をもっと盛り上げたいと思うので、力を貸してほしいと願っています。
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子どもの健康や成長発達を支援 専門を深めたい人に来てほしい
1975年兵庫県宝塚市生まれ。2001年東京大学医学部卒、同年から同大学医学部附属病院小児科へ入局。帝京大学医学部附属病院や母校の附属病院で研修した後、太田綜合病院附属太田西ノ内病院、国立成育医療研究センター循環器科、UCLA Mattel Children's Hospital、太田西ノ内病院小児科の副医長を経て東京大学医学部附属病院小児科助教。2023年4月からは太田西ノ内病院へ3度目の着任となり、周産期センター小児科部長に。日本小児循環器学会臓器移植委員会委員、日本循環器学会心臓移植適応検討小委員会副幹事などを務める。
福島県内はもちろん、全国の総合病院では「何もしなければ、小児科医の仕事はなくなる」という危機感があります。海外では40年前から医学書に書かれている「地域に根ざして医療を担う」という常識が、日本でもやっと認識されつつあります。私も今後、郡山市を拠点に、地域と連携して子どもの健康や成長発達の支援を目指します。
知識を0から1にするのと、1から10にする過程はいずれも重要です。医師としては、それを両方経験してほしいと思いますが、すでに広く浅く知識を持った人が専門を定め、ある分野で知識を積み上げていく過程を福島で経験してもらえたらと願っています。つまり求める人材・仲間としては、大学病院や専門性の高い病院で経験を積み、専門をさらに深めたい人に来てほしいと思います。同じ分野の医師がたくさんいる必要はありません。10の知識を持った医師が連携することで、小児医療を幅広くカバーできるはずです。
意欲を持ってやって来た人を 歓迎する土壌や環境がある
1968年神奈川県生まれ。1995年福島県立医科大学卒業。慶應義塾大学病院での研修を経て、医学博士取得。東京歯科大学市川総合病院産婦人科の助教、講師を経て2015年から准教授。現在は福島県立医科大学特任教授を兼任し、2024年4月からはふくしま子ども・女性医療支援センターでの勤務も開始予定。日本産科婦人科学会専門医・指導医、日本女性医学学会ヘルスケア専門医・指導医・幹事、日本女性心身医学会認定医師・幹事長・評議員、日本臨床細胞学会細胞診専門医・指導医、日本がん治療認定医機構がん治療認定医。
私の研究のテーマは、女性の心身の不調全般を診ることで、「人生のどんなゴールを目指すか」を一緒に考えながら伴走しています。主に閉経後の女性の骨粗鬆症や脂質異常など体の変化と疾病の予防について取り組んでいますが、働く女性を対象とした講演活動なども積極的に引き受け、地域に出て行っています。
その私がそうであるように、ベテランのドクターも含め、意欲を持ってやってきた人を歓迎する土壌が福島にはあると思います。また、いろいろな選択肢があり、やりたいことを重視してくれる環境や体制もあります。働き方も多様で、柔軟に対応できますので、是非「こういうことをやってみたい」と相談していただけたら嬉しいです。
最近は若い医師の中にも「女性のヘルスケアをやってみたい」と思う人が増えています。そういった方と一緒に働けたら嬉しいですね。もちろん、並行してお産やがんの手術、生殖医療など産婦人科としてのベースも学びながらキャリアを考えることもできますので。
人と深く付き合ってみてほしい 福島で挑戦する価値はある
1967年埼玉県生まれ。1993年獨協医科大学卒業。同大学病院神経内科に勤務し、病棟医長、医局長、准教授を歴任。東日本大震災が発生し、母校の医局を離れて2012年4月に南相馬市立総合病院へ赴任し、現在は同病院附属小高診療所。『医者になってどうする!』、『原発に一番違い病院』(中外医学者)、『ドクター小鷹、どうして南相馬市に行ったんですか?』(香山リカとの共著)(七ツ森書館)『被災地で生き方を変えた医者の話』(あさ出版パートナーズ)など著書多数。ペンネーム「木痣間片男(きあざま・かたお)」で小説も執筆。
「人が優しい」「果物がおいしい」「気候が暖かい」などの相双エリアの魅力は、誰でも感じることです。私にとっては、この場所が自分に合っていて、ストレスなく過ごせていることが重要です。誰かにとって相双エリアが、そのような場所になるかどうかは、まず来てみて、人と深く付き合ってみなければわかりませんが、人生において挑戦してみる価値はあると思います。
大学に19年間勤めた私の経験を踏まえ、40代や50代で医局を出るかどうか悩んでいる医師はたくさんいると思います。大学のポストは限られていますし、子どもの自立や親の介護などのタイミングもあり、「自分の人生をどうしようか」「働く場所を変えてみようか」と考える人もいるでしょう。セカンドキャリアをどのように決めるか悩み、いくつかの地域で迷ったら、福島を選択肢として1度考えてみてください。地域に根差した医師として生きる場に、福島がふさわしい方は必ずいると思います。
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