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寄稿記事 わたしの女医ライフ【第2回】

患者さんの前で泣くのは、医師失格?―わたしの女医ライフ

2017年10月3日(正木稔子)

 頭頸部がんの終末期医療を行っていたTさんが、自ら点滴を抜いてしまうことが多くなった。「飲食ができないと脱水になってしまうので点滴をさせてもらいたい」と説明するが、頑として聞き入れてくれない。「どうして?」と問うと、ホワイトボードに理由を書いてくれた。

 頭頸部がんの終末期には、気管切開をしている方が多い。つまり話せないということだ。コミュニケーションを取るためには、筆談もしくは身ぶり手ぶり。字を書くのと、話すのでは断然スピードが違う。だから、ほとんどの方が慌てて字が乱雑になる。わたしは患者さんを慌てさせないようにベッドサイドに座り込むのが常だった。その一方で、日々発生するとてつもない量の仕事を片付けたい気持ちも湧き上がってくるもので、そうした思いと格闘するのは簡単ではなかった。

患者さんの気持ちに、どこまで寄り添うか

 Tさんがそこに書いたのは「点滴をしたら死ぬ」という言葉だった。「死にませんよ」と言ったが、「薬が入っている」と怒った顔をした。Tさんは、点滴にモルヒネが入っていて、それによって死んでしまうと思っていたようだ。いよいよ説明しなければならない時が来た。

 Tさんが言う通り、モルヒネには鎮痛作用があり、痛みが強い頭頸部がんでは使わざるを得ないことが多い。しかも徐々に意識がなくなるという作用がある。
「今やっている点滴にはモルヒネは入ってないんです。脱水を改善するだけです。でもね、Tさん。その薬の点滴が必要になったら、つまり、痛みが我慢できなくなったらTさんからわたしに教えてくれますか?その点滴は意識がなくなるから、始めるタイミングはTさんが決めてください。わたしたちが勝手に始めることは絶対にしませんから」
胸が引き裂かれる。最期の時がどうなるのか、面と向かって語らなければならない。思いもよらず、わたしは涙が出た。しまった…。患者さんの前で泣くものではないと教わっているじゃないか。しかも、死を間際にした方の前で医師が泣くなんて。しかし、Tさんの目にも涙が浮かび、2人で涙を拭った。気丈にも「わかった」と書くTさんの顔には、不安と覚悟が入り混じっていた。
わたしは仕事を終えると、どうしたらTさんが豊かな最期を迎えられるのかと、来る日も来る日も思案していた。考えるあまり、涙がこぼれることも度々あった。医師として患者さんの気持ちに寄り添うのは重要なことだ。ただそれは「理想的」なことで、患者さんの気持ちを想像しすぎると胸が激しく痛み、正常な判断に影響が出てしまうのも事実。特に女性は感情に左右されやすい。だからどこかで線を引かなければいけない。とは言っても、その線がどこなのかは目に見えないから難しい。

泣く者と共に泣く

 医学生時代、「医師は患者さんの前で泣くものではない」と教わった。そんなものなんだと自分に言い聞かせ、患者さんを亡くした時の悲しい気持ちを押し殺していた時期があった。押し殺すためには「感じなくする」しかなく、情緒豊かな女性らしさは失われていった。そうするうちに人に対してつっけんどんになり、自分が冷淡な人間になってしまったようで、死を扱う職業の人間がこれでいいのだろうかと自問したものだ。

 Tさんは、わたしが涙を流したのを見て、「先生は共に戦ってくれる」と思ったのかもしれない。それ以降の信頼関係はより深いものになった。もちろん一概に涙を流した方がいいとは言えず、かえって不信感につながることもあるので、対応は個々に変えなければならない。しかし、いざ患者さんを目の前にすると判断が難しく、どうしたものかと悩んだ時、ふと聖書の言葉が目に入った。「泣く者と共に泣き、喜ぶ者と共に喜びなさい」。そうか、泣いている人と一緒に泣くのは良いが、泣いてもいない人の前で医師が泣くべきでない。こうしてわたしの基準は更新された。

 「父が亡くなった時に担当医が涙を流して悲しんでくれた。その姿を見て自分は医師を志した」と言う医学生がいる。
同じように、わたしは母から祖父が亡くなった時のことをよく聞く。複数の担当医が焼香に来てくれたが、涙を流した研修医が最も印象的で、その涙に癒やされた、と言う。もう30年も前のことだが、母には忘れられない情景らしい。

 思わず涙が流れたTさんとの時間は、わたしにとってとても大きな標柱となっている。わたしは情緒豊かで涙を流しやすい女性。それは時として功を奏するのだ。消し去らなくていい。ただ、背負いすぎないように日々鍛錬しながら、患者さんと共に歩みを進めようと、今日も診療に立っている。

正木先生のプロフィール写真

正木稔子(まさき・としこ)
1979年生まれ。福岡県北九州市出身。
福岡大学医学部を卒業後、日本大学病院耳鼻咽喉科・頭頸部外科に入局。主に癌治療を行う。その後クリニックに勤務し、西洋医学に漢方薬を取り入れたスタイルで診療をしている。
現在は診療業務と並行してDoctors’ Styleの代表を務め、医学生とドクターを対象に、全国で交流会を開催したり、病を抱えた方々の声を届けている。また、ドクターや医学生に向けた漢方の講演なども行っている。
それ以外にも、国内外で活躍する音楽一座HEAVENESEの専属医を務めているほか、「食と心と健康」と題して一般の方向けにセミナーを開催し、医療だけに頼るのではなく普段の生活の中からできることを提案している。