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寄稿記事 わたしの女医ライフ【第8回】

初めてづくしの医師生活。16年目の今、後輩に伝えたいこと―わたしの女医ライフ

2018年9月26日(正木稔子)

 社会に出ることは思った以上に大変だった。

 大学合格と同時に“医師”という職業が決まり、安心していたのかもしれない。大学時代は、社会に出る訓練の必要性をあまり感じなかった。アルバイトは家庭教師、ファストフード店のレジ、交通量調査、テレアポ、カラオケ店の店員と、いろいろやったが、どれも「医者になったらできないから体験してみたい!」という単純な理由だった。時には、アルバイト先で医学部以外の友人ができ、彼らの生活ぶりや考え方があまりにもわたしたちと違っていて、衝撃を受けたこともあった。でも、そのほとんどは学生の域を出ないものだったように思う。

卒後に降りかかってきた「初めて」づくし

 卒後、研修医になって大変だと思ったのは、患者さんの死だ。それまで祖父一人の死にしか立ち会ったことがなかったわたしに、毎日のように降りかかってくる患者さんたちの死。仲良くなればなるほどその死はつらく、気持ちをどう整理したらいいのかわからなかった。

 さらに、病院で過ごす時間は自分の思い通りにならない。急変は時間を選んでくれないから、やろうと思っていた仕事が中断されて思うように進まない。当直中は夜間救急に患者さんがたくさん来て、いつ寝られるかわからない。

 わたしは出身とは異なる大学の医局に入ったので、外来・CT室・MRI室・病棟・RI室・医局、あらゆる場所を覚えなければならなかったのも大変だった。オペや外来、検査の曜日など、一週間のスケジュールですら慣れるのに時間がかかる。加えて病棟、外来、救急外来、それぞれで働く看護師さんの名前を覚える。もちろん他のスタッフのことも。点滴・薬・手技・その適応・器具の名前も片っ端から覚えないと現場の方々とコミュニケーションが取れない。「初めて」が山のようにある上に、自分のミスで人の命にかかわるという緊張感・責任の重さは絶大。さらに、大学卒業と同時に住んだことのない東京に出てきたので、一歩病院の外に出れば右も左もわからず、地理も電車も覚えなければならない。本当に、一日を過ごすことに精一杯だった。

 そこに、毎日のように入院患者さんが入ってくる。一人ひとりの病態と治療法を確認しながら覚え、コミュニケーションを取る。とはいえ、医学部を卒業したからといって、それ相応のコミュニケーション力が身についているとは限らない。医療とコミュニケーションは別物で、それでいて両立しなければならないのだと、この時に初めて知る。外来を担当すると更に対応する人数が増え、学生の頃に比べたら関わる人の数は数倍になっていた。しかし、口の利き方も知らない状態で社会に出たものだから、同じ言い方をしても人によって捉え方が違うと気付くまで多くのトラブルがあった。

次なる課題は専門医試験、そして結婚生活との両立

 こんな状態は4年目くらいまで続いた気がする。そのさなか結婚したのだから失敗して当然だと、いま振り返ると思う。わたしは臨床研修制度がない、最後の世代。ずっと同じ職場で働いていてこれなのだから、数か月おきに所属科が変わってしまう現制度の研修医のみなさんはいかほどのストレスを感じているのか、想像を絶する。

 そして女性に突きつけられる大きな不安は「女医は未婚率・離婚率が高い」「女医はモテない」「高齢出産はリスクが高い」という事実。ストレートで卒業して24歳。一般女性以上に知識として知っている高齢出産のリスクは、我がこととなるとものすごく大きな恐怖になる。そんな中、厳しい現場にいれば言い方もきつくなる。危急の時、一言で指示が伝わらなければ患者さんの命に関わるのだから、当然だ。一方、男性医師は真逆。たとえ離婚してもすぐ再婚できる。モテる。出産のリスクはない。何度「男だったら良かったのに」と思っただろう。

 なんとか一人で仕事ができるかなと思ったのは、6年目。外来も病棟も外勤も自分の判断でこなせるようになってきた。しかし、耳鼻咽喉科の専門医試験を受ける時に、耳鼻科ですら知らないことがたくさんあると気付き、耳鼻科医としての先が長いことに驚いたものだ。見方を変えれば学ぶことがたくさんあって飽きることがない。

 本格的に仕事が軌道に乗ってきたのは、10年目くらいから。その頃からは年々仕事が楽しくなって、女性らしさを活かした仕事についても考えるようになった。

 そう、つまり、医師になってからの数年間はどこにいても大変なのだ。たとえどの科を選択しても社会人として食べていくのは大変なことで、医師が一人前になるには時間がかかる。その半面、学年を重ねれば重ねるほど楽になることもある。とはいえ、とくに女性は結婚との両立を考えると急に気が重くなるだろう。わたしは離婚を経験しているから余計に感じるが、仕事と結婚の両立は学生時代から女性医師の話を聞き、真剣にプランを立てておくべきだったとつくづく後悔している。しっかりプランを立てていれば、本来は両立できるものなのだ。

 「未来に備えて良い基礎を自分自身のために築き上げるように」という聖書の言葉は今になって心に響く。仕事の基礎もプライベートの基礎も、自分自身のために築くことで応用ができる。基礎すらなければ応用も何もないのだ。そして現在も、未来のための備えなのだと心を新たにしている。

正木先生のプロフィール写真

正木稔子(まさき・としこ)
1979年生まれ。福岡県北九州市出身。
福岡大学医学部を卒業後、日本大学病院耳鼻咽喉科・頭頸部外科に入局。主に癌治療を行う。その後クリニックに勤務し、西洋医学に漢方薬を取り入れたスタイルで診療をしている。
現在は診療業務と並行してDoctors’ Styleの代表を務め、医学生とドクターを対象に、全国で交流会を開催したり、病を抱えた方々の声を届けている。また、ドクターや医学生に向けた漢方の講演なども行っている。
それ以外にも、国内外で活躍する音楽一座HEAVENESEの専属医を務めているほか、「食と心と健康」と題して一般の方向けにセミナーを開催し、医療だけに頼るのではなく普段の生活の中からできることを提案している。