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寄稿記事 わたしの女医ライフ【第15回】

「なぜ医師になったのか?」8年間の苦しみの果てに見えたもの―わたしの女医ライフ

2019年11月25日(正木稔子)

 広い田んぼの向こう側に、山と青い空が見える。幼い頃から見慣れた風景に囲まれるとき、素直な思いが湧き上がってくる。
 電車の中で、わたしは祖母のことを思っていた。
 わたしの母方の祖母は戦争の最中に結婚し、医師であった夫と満州に渡った。これから楽しい生活が待っていると期待に満ち溢れたことだろう。子どもも生まれ順風満帆。しかしそんな中、夫は急に病に倒れ天に旅立ち、祖母は一人本土へと戻ってきた。そして再婚、母が生まれた。
 そんな話を、わたしは何度も祖母から聞かされていた。今日は大好きな祖母のところに遊びに行く。

好きで医師になったわけじゃない…葛藤の日々

 母は医師を目指した。来る日も来る日も勉強したそうだ。薬学部に行くことが決まった時、とても悔しかったと言う。
 わたしが小学校4年生の時、母と同じ薬剤師である父は一念発起して医学部再受験に臨んだ。一年間、薬剤師の仕事を休業し勉強に打ち込んだ。一度だけのチャレンジに全身全霊で臨んだ。結果は不合格。この時の父の姿はわたしの脳裏に焼き付いている。
 そんな両親のもとで育ち、長女のわたしは医学部を目指すことになった。みなの期待を一身に背負い、一生懸命頑張ったのは言うまでもない。

 医学部5年生の時、ふと自分自身の将来について考えた。「これからは自分の人生を自分で決めていきたい。誰かが敷いたレールを歩む人生から脱却したい」と思ったのだ。しかし仕事は生活の大部分を占めるため、医師という仕事をしていること自体が敷かれたレールの上を歩いていることになる。仕事で嫌なことがある度に、「好きでやってるんじゃないのになんでこんな思いをしなきゃいけないんだ」という感情に支配され、とても苦しくなった。

 そんな状態は卒後8年間も続いた。医師は異業種へのキャリアチェンジが極めて困難だ。もちろんキャリアチェンジしてはいけないわけではない。しかし、幼稚園生から今まで、医師になるために努力してきたことを全て捨てる勇気など、到底持ち合わせていない。自分のこれまでの人生を全否定することになるからだ。
 わたしはなぜ医師になったのだろう。なんのために医師を続けていくのだろう。この仕事に向いているとも思えない。そんな思いが湧き上がっては蓋をして、惰性で仕事をする毎日だった。日々の目標を個人的な富や名誉に置いてみたところで、それはすぐに飽和して、やってもやっても満たされないアリジゴクの様だった。つらい宿命だと思った。

意味を見出したことで起こった変化

 祖母の家に遊びに行く朝、聖書を読んだ。王様の名前がひたすらに羅列してあり、それぞれの王様が何歳で亡くなり、次の王様は誰で…という記事だった。人の死とその後の流れ、一つ一つに意味がある。それ以上わたしには分からず、聖書を閉じた。

 そして電車の中、子どもに返ったような思いで美しい景色を眺めていたときだった。突如、「つらい宿命」という考えが180度変わったのだ。

 医師である祖母の元夫が、20代という若さで命を落としたのには意味があった。その出来事がなかったら、祖母が医師という職業に深い思い入れを持つことはなかった。その祖母の元に生まれた母。医師という職業に思いが向くのはごく自然だっただろう。そんな母と結婚した薬剤師の父が、母に影響されたわけでもなく、38歳で医師を目指した。
 こうした一連の流れはすべて必然だったんだ、と思えた。医師になって多くの人の役に立つためにわたしはこの家庭に生まれた。これが天から与えられた職。わたしの人生これで良かったのだ。

 オセロが一気にひっくり返るような感覚。朝読んだ聖書の記事が「すべてに意味がある」という点において、わたしの人生と重なった。そして、わたしが医師として生きていくため生まれる前から整っていた環境に、初めて心から感謝することができた。

 それからわたしは、何の役に立てるのだろう?誰の助けになれるのだろう?わたしにしかできないことは何だろう?と、主体的に考え、仕事に取り組むようになった。本業以外のこと、「Doctors’Style」の活動や執筆活動もそうだ。クリエイティブでとても楽しい。

 わたしが医師になった具体的な意味が、はっきりとわかるのはいつなのだろう。今はまだ、わからなくていいのかもしれない。いつか点が線になる。ただ、意味があると思って取り組むことで、価値のあることをしたいと前向きに考えられるようになった。この原稿にも、同じような悩みを抱える誰かの心を少し軽くしている、という“意味”がきっとあると思いながら、カフェで黙々と書いている。

正木先生のプロフィール写真

正木稔子(まさき・としこ)
1979年生まれ。福岡県北九州市出身。
福岡大学医学部を卒業後、日本大学病院耳鼻咽喉科・頭頸部外科に入局。主に癌治療を行う。その後クリニックに勤務し、西洋医学に漢方薬を取り入れたスタイルで診療をしている。
現在は診療業務と並行してDoctors’ Styleの代表を務め、医学生とドクターを対象に、全国で交流会を開催したり、病を抱えた方々の声を届けている。また、ドクターや医学生に向けた漢方の講演なども行っている。
それ以外にも、国内外で活躍する音楽一座HEAVENESEの専属医を務めているほか、「食と心と健康」と題して一般の方向けにセミナーを開催し、医療だけに頼るのではなく普段の生活の中からできることを提案している。

  

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