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寄稿記事 わたしの女医ライフ【第4回】

学問的な面白さ?趣味の延長?専門科目の選び方―わたしの女医ライフ

2018年2月6日(正木稔子)

 わたしが耳鼻咽喉科医になるのを決めたのは医学部5年生の時。

 薬剤師の両親から「医者になりなさい」と言われて医学部に行ったものだから、そこに自分の意志はなかった。それでも一生懸命やれば勉強はなんとかできたし、医学の理屈がわかれば面白かった。

 ただ、5年生で病棟に出たとき、現実に直面した。自分の長い人生を加味して考えると、仕事だけでなく、結婚や子育てなどの家庭生活との両立を願う気持ちが大きくなったのだ。正直、何科を選んでも良かったのだが、「学問として面白いかどうか」だけで専門科目は決められないと愕然とした。

 うまくいけば24才で医学部卒業。それから80~90才まで医師をすることになる。親に言われたからという理由だけで医師になったら、途中で仕事を辞めたくなるのではないか。かといって、医師を辞めたところで、一般常識も無ければ何の技術もないわたしが、一般社会でやっていけるわけがない。このままでは人生やばいかも。大きな不安が襲ってきた。

 趣味と関連した仕事なら、ずっとやり続けられるかもしれない!苦肉の策でひねり出した。わたしの趣味は、バスケットボールと音楽。バスケだったらスポーツドクター?でも、整形外科はわたしには難しい。音楽だったら歌い手さんの助けになれたら楽しいかも。声?耳鼻咽喉科?耳鼻咽喉科は、授業でも実習でもまったく興味は持てなかったが、ナシではなかった。こうして耳鼻咽喉科医になることを決めた。

「この道を選んでよかった」-耳鼻咽喉科15年目、エチオピアで

 こんな不純な動機で決めた耳鼻咽喉科だったが、先日図らずも「この道を選んでよかった」と思う出来事があった。HEAVENESE(ヘヴニーズ)という外務省後援の音楽外交使節団のツアードクターとして、エチオピアに2週間滞在したときのことだ。

 首都アディスアベバから、北に飛行機で40分。この日はラリベラという、世界遺産の岩窟教会がある地域で演奏を予定していた。しかし、標高1800mの空港から2600mのホテルまで急激に車で高度を上げたため、わたしは到着と同時に高山病に見舞われた。経験したことのないほどの激しい頭痛、体が重くてまったく動けず、顔はパンパンに浮腫んでいた。睡魔に襲われ、そのまま6時間寝込んでしまった。

 翌日、息苦しさ、嘔吐、頭痛、しびれなどを訴えるメンバーが続出。高山病は肺水腫や脳浮腫が原因で死に至ることさえある。一番の治療は高度を下げ酸素を吸わせることなので、空港に数時間滞在すれば回復するのではないかという希望を持ち下山した。

 しかし、あまりにも広大な大地を目の前に、重症化したらどうしようという不安に襲われる。そんな時、激しい風がわたしたちを目がけて吹いてきた。不安を吹き飛ばしてくれるかのような強さにふと安心感を覚える。ところが不安は現実になり、一人だけ酸素飽和度が68%まで下がってしまった人がいた。ホテルでは91%だったのに、なぜ今下がるんだ。おかしい。叩き起こして深呼吸をさせても戻らない。今手元にあるのは聴診器と体温計と酸素飽和度モニターと経口補水液、それと少量の薬。これでは何もできない。病態生理が頭を駆け巡り「もしかして肺水腫?」その考えが浮かんだ途端、言い知れぬ恐怖に支配されてしまう。何か良い手立てはないか、祈るような気持ちで頭の中を整理する。

 すると、背後から「何かできることはないか?」と現地の方が声をかけてくれた。エチオピア人は誰も素通りすることなく全員が声をかけてくれ、とても優しく親切だった。

 医療行為ができない彼らに何か頼む事があるとしたら…わたしはとっさに叫んだ。「彼らの回復のために祈ってください!」。すると「OK!」と即答し、祈り始めた。わたしはまた頭を整理し始める。何か知恵はないのか!すると、わたしが何をするでもなく68%だった数字が上がり始め、98%に。状況を理解できずわたしはしばらく絶句。振り返ると彼らはすぐ近くで祈っていた。

 趣味の延長で選んだ耳鼻咽喉科だったが、子どもの診療、オペと術後管理、感染症対応、がん治療、時には心の病も診る多彩さに魅了され、今となっては耳鼻咽喉科以外わたしには考えられない。そして、エチオピアで起こったのは感染症や航空中耳炎、呼吸管理を要する状態など、耳鼻咽喉科医で良かったと思うことばかりだった。当時の志のおかげで、応援しているバンドのメンバーとエチオピアに渡り、舞台袖で全員がステージに立つのを眺めながら彼らをサポートできる喜びで満たされる。医学的には説明しづらいような奇跡をともに経験することもできた。あの時立てた志は、このツアーのためだったのかもしれない。

正木先生のプロフィール写真

正木稔子(まさき・としこ)
1979年生まれ。福岡県北九州市出身。
福岡大学医学部を卒業後、日本大学病院耳鼻咽喉科・頭頸部外科に入局。主に癌治療を行う。その後クリニックに勤務し、西洋医学に漢方薬を取り入れたスタイルで診療をしている。
現在は診療業務と並行してDoctors’ Styleの代表を務め、医学生とドクターを対象に、全国で交流会を開催したり、病を抱えた方々の声を届けている。また、ドクターや医学生に向けた漢方の講演なども行っている。
それ以外にも、国内外で活躍する音楽一座HEAVENESEの専属医を務めているほか、「食と心と健康」と題して一般の方向けにセミナーを開催し、医療だけに頼るのではなく普段の生活の中からできることを提案している。