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寄稿記事 わたしの女医ライフ【第6回】

退局後は非常勤に。そんな自分に課した8つの項目―わたしの女医ライフ

2018年5月30日(正木稔子)

 わたしは専門医取得後、医局から離れることを決めていた。退局の期限が迫る中、終末期医療に関われる勤務先を探していたが、なかなか理想の病院が見つからなくて焦っていた。しかし、終末期医療はやっと自分で見つけたやりたいこと。だからこそ妥協はしたくなかったが、ふと「走りすぎている自分」に気付いた。

自分にしかできないこと、等身大の自分を認める

 大学病院で働いていて心身共に負担になっていたのは、当直や転勤による引っ越しの多さだった。もちろん、当直でしか経験できない疾患があるし、細切れに転勤したことで、病院規模や地域によって自分のなすべきことが異なるともわかった。実際、たった数年の間に大学病院と市中病院、クリニックの役割は大きく違うと学べたことは、わたしの医師人生における大きな財産となり、将来の判断材料にもなった。若い時期に大学病院で働けたことは大変貴重で、他には代えがたい価値があったと思う。ただ、これがずっと続くと考えると身の毛がよだつ思いだった。

 そんな時、教会で聞いた牧師さんのメッセージが心に響いた。

 「あなたは誰とも同じではない。他の誰にもなる必要はない。あなたにしかできないことがある」と。頑張っている先輩たちを見て、「そうしなければならない」という考えに囚われ、そうなれない自分に苦しんでいたと気付いた。できないことばかりに目が留まっていたが、できることを伸ばしていけばいい。わたしはわたしのままでいい。今まで全速力で走ってきた。それは必要な時間だったが、今は技術も身についてきたし、これからはわたしのペースで少しゆっくり歩いてみてもいいのではないか。また走りたくなったら走ろう。それまで自分に鞭を打ってきたが、等身大の自分を認めてあげられた初めての瞬間だった。

医師として、一人の女性として

 思い切ってしばらく休んでみようと思った。医師という仕事しかできないわたしが、仕事を手放すのは怖くもあった。しかし、決断するとあちこちから「うちで働かないか」と声がかかるように。「せっかく休むって決めたのに、何だよぉ!」という贅沢な思いもありながら、条件を決めて1軒のクリニックで週に2日だけ勤務することにした。

 「非常勤になったら楽でしょ」。今でもよく言われるし、退局前はわたしもそうだろうと思っていた。好き放題できるんだと。しかし現実は葛藤との戦いだった。社会の役に立っていないんじゃないか?わたしが仕事をしなくても世の中は回っている、もしかしたらわたしは不必要なのか?といった思いが駆け巡る。退局前にはやりたいことがいっぱいあったはずなのに、実際時間ができてみるとどう遊んだらいいのか全くわからなかった。仕事に戻りたい、でもまた忙殺されるのも嫌。毎日同じ思いが湧いてきては格闘するということの連続。

 そんな中、教会で行われているボランティア活動に時間を割けたのは、わたしにとっての救いだった。わたしを医師としてではなく、一人の女性として見てくれる仲間と時間を過ごすことで、知らず知らずのうちに着ていた鎧から解放されていくのがわかった。

「ただ良いことを行う」自分で決めた8つのポリシー

 クリニックで非常勤を始めてから、仕事において自分に課す項目を作った。それは聖書のこういう言葉を読んでからだ。「支配者を恐ろしいと思うのは、良い行いをするときではなく、悪を行うときです。権威を恐れたくないと思うなら善を行いなさい。そうすれば、支配者たちからほめられます」。

 支配者というのは上に立つ権威のことらしい。怒涛のような大学病院勤務の経験から、過剰に上司を恐れる思いがあることに気付き「そうか、恐れなくていいんだ。ただ、良いことを行おう」と心に決めた。そのために必要最低限なことは次の8つだった。

・遅刻・欠勤をしないこと
・小さなことも報連相を怠らないこと
・患者さんに良くすること
・身だしなみを整えること
・笑顔でいること
・挨拶をすること
・自分にできる領域の勉強をし続けること
・クリニックの収益も考慮に入れること

 一見簡単なように見えて、これらを継続することは、案外努力のいることだった。

 上に挙げたこと以外で自分にできることのひとつは、女性患者さんの話をじっくり聞くことだ。女性の不定愁訴といわれる症状は、女性の感情やPMSが反映されていることがある。それは男性には理解し難いのかもしれない。月経周期に左右されて生きているわたしには「わかるなぁ」と思う部分もあり、女子トークに花が咲くことも。女性であることを生かした強みであると言っていい。それを知った男性医師が、わたしの外来に女性を送り込んでくることも度々あった。大歓迎だ。そのようにしていると上司や周りとの関係が自然と良くなっていった。

 今は非常勤で3軒のクリニックを掛け持ちしている。3軒とも男性院長の下で働いているが、女性であるわたしだからこそできる仕事で、クリニックをサポートできている満足感は何物にも代えがたい。

正木先生のプロフィール写真

正木稔子(まさき・としこ)
1979年生まれ。福岡県北九州市出身。
福岡大学医学部を卒業後、日本大学病院耳鼻咽喉科・頭頸部外科に入局。主に癌治療を行う。その後クリニックに勤務し、西洋医学に漢方薬を取り入れたスタイルで診療をしている。
現在は診療業務と並行してDoctors’ Styleの代表を務め、医学生とドクターを対象に、全国で交流会を開催したり、病を抱えた方々の声を届けている。また、ドクターや医学生に向けた漢方の講演なども行っている。
それ以外にも、国内外で活躍する音楽一座HEAVENESEの専属医を務めているほか、「食と心と健康」と題して一般の方向けにセミナーを開催し、医療だけに頼るのではなく普段の生活の中からできることを提案している。