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寄稿記事 わたしの女医ライフ【第12回】

忘れられない、心にしまった喪失体験―わたしの女医ライフ

2019年4月17日(正木稔子)

  夜10時、当直用のPHSが鳴った。「先生!小児科病棟の看護師です。患児の鼻血が止まらないので処置してほしいんですが」。看護師にはすぐに耳鼻科の処置室に来てもらうよう指示を出す。当直室でくつろいでいたわたしは、処置室に電話して準備を依頼し、白衣を羽織る。「小児科の入院患児が鼻血ということは、白血病か。血小板が下がっているからかなり止まりにくいだろうな」。一抹の不安を抱えながら、わたしも処置室に向かう。

  わたしが到着すると、すでに処置台の上に看護師に抱きかかえられたAちゃんが座っていた。年の頃は4歳くらいだろうか。原疾患を確認してすぐに処置に入る。

  鼻血の処置は痛みを伴うもので、通常、同い年の子供なら大騒ぎだ。しかし、Aちゃんは決して大声を出さなかった。その代わり、処置を始めるとAちゃんは大きな目を見開きながら大粒の涙をいくつも流し始め、歯を食いしばって歯ぎしりをする。さらに、彼女の目はわたしを追い、視線を外さなかった。輸液ポンプの音と、痛みをこらえる声と、ギリギリという歯をこすり合わせる音だけが処置室に鳴り響いていた。わたしも処置をするのに必死で、「痛いよね」と声掛けなどをしている余裕もない。30分ほど格闘して、なんとか止血し、胸をなでおろした。ホッとしたのも束の間、わたしの心には「痛い思いをさせてしまった」という自責の念が押し寄せてきた。

  2日後、別の患児を回診するため、小児科病棟に行った。わたしはふとAちゃんのことを思い出し、カルテが乗っているカートを見つけ、カルテを探す。クラークさんに「すみません。Aちゃんのカルテはどこにありますか?」と聞く。「あ、先生。こっちです」。差し出されたカルテを見て固まってしまった。わたしが処置した日の翌朝、Aちゃんは天国へと旅立っていたのだ。

  その後、どういう行動を取ったのかは覚えていない。ただ、Aちゃんの大きな目がわたしの脳裏に焼き付いていた。そして、わたしの心の中では「死の直前、小さな子にあんな痛い思いをさせてしまった。でも、耳鼻科医として止血しないという選択肢はなかった。とはいえ、申し訳ないことをした」という後悔と自己正当化の戦い。そのせめぎ合いで立ち尽くすことしかできなかった。あの晩はわたし一人で対応したため、この出来事を誰にも言えず、心にしまい込んだのだった。

「先生、大好き!」という言葉の裏

 数年後、わたしはクリニックで勤務をしていた。Aちゃんのことはすっかり心の奥深くにしまい込み、見えないように蓋をして、思い出すこともなかった。ある日、鼻風邪を診てほしいと可愛い女の子がやってきた。お母さんに抱っこされた彼女は処置を嫌がり、大きな目を見開いてわたしを凝視し、大粒の涙を流し、歯ぎしりした。その時だ。Aちゃんの姿がこの子に重なるように突然目の前に現れた。わたしの思考は一時的に停止。ハッと我に返り、お母さんにはこの子の現状を説明し、処方をして、さよならを言った。フラッシュバックは初めての体験だった。Aちゃんを失った衝撃は、自分で思っていた以上にわたしの心に大きくのしかかっていたのだ。

 数日後、その子が再診した。わたしに少しの緊張が走る。「少し良くなったかな?」と聞いた後、その子が言ったのは「先生、大好き!」だった。わたしはこみ上げる思いを抑えられなくなっていた。Aちゃんに痛い思いをさせ、ずっと申し訳ないと思っていたわたしに向けられたその子の「大好き」は、Aちゃんが言ってくれたようにも聞こえたのだ。その子が帰る姿を見送りながら、涙があふれ流れた。

 Aちゃんの死は心に蓋をして見ないようにしていただけで、わたしにとって癒えることのない大きな生傷になっていた。あの子が言ってくれた「大好き」は、天国からAちゃんが「先生、もういいよ」と言ってくれたようだった。その時、初めて自分を許せた気がする。

つらい経験を口にできるほど強い

 医師は決断を下さなければならない立場であり、それでいて不完全だから、良かれと思ってやったことが仇になることもある。かつてのわたしのように、患者さんを亡くしてつらい思いを抱えている医師ほど、そういう経験を口に出すことすらできない。見栄を張ることは強く見えるが、実は弱みを口にできるほうが強いのかもしれない。

 いのちの現場に立つ者には多かれ少なかれ、わたしと似たような体験があることだろう。そこで抱いた後悔の気持ちは解決できなくてもいい。ただこういう体験や思いを口にできる場があるだけでも、医師自身の重荷が降り、死の地と死の陰に座っているわたしたちに光が上るのかもしれない。

正木先生のプロフィール写真

正木稔子(まさき・としこ)
1979年生まれ。福岡県北九州市出身。
福岡大学医学部を卒業後、日本大学病院耳鼻咽喉科・頭頸部外科に入局。主に癌治療を行う。その後クリニックに勤務し、西洋医学に漢方薬を取り入れたスタイルで診療をしている。
現在は診療業務と並行してDoctors’ Styleの代表を務め、医学生とドクターを対象に、全国で交流会を開催したり、病を抱えた方々の声を届けている。また、ドクターや医学生に向けた漢方の講演なども行っている。
それ以外にも、国内外で活躍する音楽一座HEAVENESEの専属医を務めているほか、「食と心と健康」と題して一般の方向けにセミナーを開催し、医療だけに頼るのではなく普段の生活の中からできることを提案している。