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寄稿記事 わたしの女医ライフ【第16回】

中村哲医師の死に思うこと―わたしの女医ライフ

2020年1月6日(正木稔子)

 死とは何だろうか。
 先日中村哲医師が銃撃された事件は日本を振とうした。その数週間後、わたしの友人が病気で亡くなった。
 死というものが身近にあることを実感させられる出来事が続き、今回はこのことについて書いてみたいと思った。

「正木、絶対泣くなよ」

 医師の仕事をしていると死はごく身近にあるもので、わたしは医師になってからその捉え方が分からず随分と思い悩んだものだ。
 わたしが初めて家族以外の死に直面したのは大学5年生の時。救急科を専攻することを諦めきれなかったわたしは、夏休みに救急救命センターの先生に頼み込んで実習させていただいていた。ある日、事故で意識不明の方が運び込まれた。その患者さんは意識が戻ることなく亡くなった。霊安室に行く前に、担当の先生が「正木、絶対泣くなよ」と言った。

 霊安室にはご家族がいた。その方のご両親、パートナー、小さなお子さん二人。お子さんたちは何が起こったのかわかっておらず、霊安室ではしゃいで走り回っていた。わたしは彼らの将来を想像してしまった。物心がつく前に親を亡くし、大きくなってそれがわかった時、この子たちはどう感じるんだろうか?可哀想に…。そう思うと、とめどなく涙があふれてきた。さっき先生から泣くなと指導を受けたのに、どうしても涙を止められなかった。

 お焼香をして家族に頭を下げ、医局に戻った。電気をつけることもできず真っ暗な医局に座り込むと、我慢していた感情が爆発し、声をあげて泣いてしまった。しばらくして医局の扉があいた。担当の先生だった。泣いてしまって怒られるかと思った。しかし、先生の口から出たのは予想外の言葉だった。
 「正木、大切なことを思い出させてもらったよ。ありがとう」
 その手から缶コーヒーが差し出された。この時、わたしの心には3つの思いが押し寄せてきた。担当の先生がわたしの感情を肯定して下さったことがとてもうれしい。でも、医師は死を悲しむことを忘れてしまうのだろうか。わたしは死と向き合い続けられるのだろうか。

死は終わりではない

 その後、わたし自身が医師になり、たくさんの方を看取ることになった。死を悲しむ心には波があった。仲の良い患者さんが亡くなるととても悲しい。こんな思いをするなら感情は捨ててしまった方が、もしくは一生懸命にならない方が楽だなという気持ちが湧き、クールに対応しようとする。しかし人としてこの感情を捨てたくない。患者さんのために全力で仕事をしたい。そんな思いを捨てきれず、今度はクールな対応をしようとした自分に嫌気がさす。どうするのがベストなのか、毎日手探りだった。

 医療の技術以上に、わたしは一体患者さんに何をしてあげられるのだろうか。何と声をかけたらいいのだろうか。日々思い悩み、聖書を読んだ。そんなある日、こんな言葉に出会った。「この病気は死で終わるものではなく、神の栄光が現れるためのもの」。目から鱗が落ちた。病気は死で終わるのではなくその先があり、それはプラスに転じていくことができるもの。確かに、連載第2回にも書いた通り、患者さんだけでなくご家族とも関わりを持てた時、医師の存在がある種の緩衝材となり、ご家族の悲しみを和らげることがある。また、病気をきっかけに人生について考え、これまでのいろいろなことを悔い改め人生が好転した、病気をしたことで家族が一致団結して仲が良くなったという話も聞いたことがある。

 死や病気そのものではなく、それをどうプラスに転じることができるかに目を向ける手助けをする。医師はそういう関わり方もできるのかもしれない。死を迎えるご本人は当然だが、その死を背負って生きていくご家族のためにどのように関わることがベストか、に目を向けられるようになると、肩の荷は自然と降りた。

 中村哲先生の死はとても痛ましく、殺害は決して許されることではない。しかし、中村哲先生の生き方に感銘を受けた医師や医学生たちの心に火が付き、立ち上がるのを既にわたしはこの目で見ている。死は終わりではなく、そこから何かが芽を出し、実を結ぶ。死と関わることは、医師にとって時として重くのしかかる。しかし、そこから始まる“何か”への希望があれば、心は強くなり、患者さんの伴走者として積極的にその場に立つことができるのだと思う。

正木先生のプロフィール写真

正木稔子(まさき・としこ)
1979年生まれ。福岡県北九州市出身。
福岡大学医学部を卒業後、日本大学病院耳鼻咽喉科・頭頸部外科に入局。主に癌治療を行う。その後クリニックに勤務し、西洋医学に漢方薬を取り入れたスタイルで診療をしている。
現在は診療業務と並行してDoctors’ Styleの代表を務め、医学生とドクターを対象に、全国で交流会を開催したり、病を抱えた方々の声を届けている。また、ドクターや医学生に向けた漢方の講演なども行っている。
それ以外にも、国内外で活躍する音楽一座HEAVENESEの専属医を務めているほか、「食と心と健康」と題して一般の方向けにセミナーを開催し、医療だけに頼るのではなく普段の生活の中からできることを提案している。

  

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