病院クチコミナビ

ログイン 会員登録

  1. m3.com CAREERトップ(医師求人・転職)
  2. m3.com 病院クチコミナビトップ
  3. わたしの女医ライフ
  4. わたしの女医ライフ【第5回】
寄稿記事 わたしの女医ライフ【第5回】

女医の職場選び。キャリアと結婚の折り合いはどうつける?―わたしの女医ライフ

2018年3月28日(正木稔子)

 医師としてどこで腕を磨き、キャリアを歩んでいくかは言うまでもなく大切なこと。専門科目の選択について書いた前回に続き、今回は職場(研修先)探しにおいて、わたしが意識したことを伝えたい。

職場選びも結婚も、軸は変わらない

 わたしがポリクリの合間に考えたのは、次のようなことだった。

 1. 福岡から出たことがないから九州を出よう。6年間もいる大学にそのまま就職したら、医者になっても学生気分が抜けないだろう。誰も知らないところで、ゼロから始めてみたい。自分の人間力を試してみたい。

 2. 九州地方の耳鼻咽喉科で音声外来をやっているところは熊本大学だった。だが、ミュージシャンの人たちは九州内なら福岡に集まってくる。福岡で音声外来ができないのなら、東京に行くのがいいかもしれない。この時、明確に東京という候補が挙がった。

 こうして自分なりに条件を挙げてみると、ぐっと絞り込めた。

 当時、インターネット環境はあまり良くなかったが、音声外来で検索してヒットしたのは東京大学、慶應義塾大学、日本大学の3つ。見学に行く勇気が出たのは日本大学。あとは、耳鼻咽喉科と言えば東京慈恵会医科大学が有名なので、メールでアポを取った。それから、耳鼻咽喉科のポリクリに行ったときに、東京に行きたいと話したら先生が「同級生で順天堂大学の耳鼻咽喉科に行った女医さんがいるから紹介してあげる」と言ってくれ、見学に行けることになった。このほか、広尾病院も見に行った。
 最終的に日本大学へと進む決定打になったのは、医局長がとても丁寧に対応してくださったこと、教授が直接会ってくださったこと、そして医局にいる先生方の雰囲気の良さだった。

 このように条件を考え、具体的に絞り込んでいくのはとても大事なこと。
 それは結婚も同じだったらしい。離婚直前に読んだ石井希尚著『本当に好きな人と世界で一番幸せになる!』(PHP文庫、2009年)には、こう書いてあった。

 「恋愛というのは、基本的に相手を好きにならないと始まらない。しかし『好き』という強い気持ちは、ときとして人を盲目にさせる。だからこそ、自分を正しく知ることと、ニーズ、そして求めている相手に必要なことを明確に知っておく必要がある。(中略)だから、相手よりもまず『自分の生き方』があったということだ」

 それは高慢になって相手を選ぶのではなく、まず自分が何をしたくて、どこに向かっているのかを整理し、それにふさわしい相手を選ぶという方法だった。仕事ならできるのに、どうして恋愛ではできないんだろう?と、この本を読んだときはノックアウトされた。

研修先の決定は専攻科ありき。

 現在、わたしはDoctors’ Styleというイベントを通して、多くの医学生たちから将来の不安を聞く。女子医学生の多くが「結婚したい!」と言っているし、わたしも医学生の頃まったく同じ会話をしていた。望むなら、結婚はした方が良い。ただ、仕事と家庭を両立させたいのであれば、自己分析が最優先だ。なぜなら医師にとって、もっとも大事なのは技術と経験。だからこそ、結婚との折り合いは慎重かつ丁寧に考えなければならない。

 仕事はもちろん、結婚も離婚も経験してきた今のわたしが、医学生時代のわたしに言いたいのは、「あなたはキャリアにすごく不安を持っているから、まずはキャリアをしっかり積んだらいいよ。彼氏ができたら冷静になって、自分のキャリアプランを彼に告げてごらん?同意してくれるか話し合ってね。焦らないで」ということ。もちろん、何に不安を抱いているかによって優先順位は変わるので、「まずキャリアを積む」というのはすべての女医に当てはまる話ではないだろう。

 ただ、わたしには医師という仕事しかないから、技術を身に付けなければいけない。将来使い物にならない医師にだけは、絶対になりたくなかった。医師という将来に怯えていたのだろう。

 わたしみたいなタイプの女医さんは、研修医の頃はガツガツしている。例えば、自分の技術向上のために必死になっている時に、妻という立場ができれば「家庭のこともしたい、良い妻でいたい」という思いに駆られる。しかし、仕事の忙しさから、できない自分に苛立ちを覚えイライラが増してくる。二兎追う者は一兎をも得ず、結婚当初のわたしにはこの言葉がぴったりだったのだ。

 今思えば、研修先を考える際によかったと思うのは、何科を専攻したいかを最初に決めていたことだ。研修医期間は環境に慣れるのに必死で、あっという間に過ぎ去っていったが、ミュージシャンのサポートという目標を見定めていたので、すべてを「将来の自分に必要なものは何か」という視点で見ることができた。今も、新しい職場を考える際は同じように考え、選択している。だからこそ後悔がない、とても充実した医師生活を送れている。

正木先生のプロフィール写真

正木稔子(まさき・としこ)
1979年生まれ。福岡県北九州市出身。
福岡大学医学部を卒業後、日本大学病院耳鼻咽喉科・頭頸部外科に入局。主に癌治療を行う。その後クリニックに勤務し、西洋医学に漢方薬を取り入れたスタイルで診療をしている。
現在は診療業務と並行してDoctors’ Styleの代表を務め、医学生とドクターを対象に、全国で交流会を開催したり、病を抱えた方々の声を届けている。また、ドクターや医学生に向けた漢方の講演なども行っている。
それ以外にも、国内外で活躍する音楽一座HEAVENESEの専属医を務めているほか、「食と心と健康」と題して一般の方向けにセミナーを開催し、医療だけに頼るのではなく普段の生活の中からできることを提案している。