企画記事
転職ノウハウ
まさかのアンマッチ その時考えたこと
私の初期研修物語 vol.1 志水太郎先生【前編】
2018年10月19日(Doctors LIFESTYLE編集部)
2004年からスタートした新医師臨床研修制度。制度開始から十余年が経ち、制度黎明期の医師たちは現在指導医層となり、臨床や研究、教育の第一線で活躍しています。改めて今、彼らは自身のマッチングや初期研修を、どのようにとらえているのでしょうか――。
本シリーズでは初期研修世代の先生方に、自身のマッチング対策や初期研修時代を振り返っていただきます。今回取材したのは、獨協医科大学総合診療医学・総合診療科の志水太郎教授です。『愛され指導医になろうぜ』(日本医事新報社)等の著作でも知られる人気指導医となった志水先生ですが、実はそのキャリアはアンマッチからのスタート。改めて今、ご自身の初期研修について、振り返ってもらいました。
「まさか、自分がアンマッチになるなんて」
ーーー志水先生は、新医師臨床研修制度がスタートした翌年の2005年度に愛媛大学医学部を卒業されています。医学生時代、初期研修先はどんな軸で探されましたか。
正直なところ当時の私には、これと言って語れるほどの戦略があるわけではありませんでした。「地元に戻りたい」「臨床経験をたくさん積める場所に行きたい」という思いはありましたが、当時はインターネットも今ほど充実しておらず圧倒的に情報がない状態。地元から遠く離れた大学に通っていたので、病院見学に赴くのも難しく、友人や先輩から聞いたことのある病院の中から、志望病院を絞り込んでいくというスタイルでした。
見学の時間がなかなか取れなかったこともあって、結果的に見学したのは有名病院が中心になりましたが、中でも心惹かれたのは、聖路加国際病院でした。日野原重明先生の回診を見て感動してしまって。ベッドサイドに足を運んで、手を握って語り掛ける――言葉にするのは難しいのですが、何だか絵画を見ているような感動があったんです。「こんな風に患者さんとふれあえるような医師になりたい」。直観的にそう思いました。病院自体もきれいで、食堂もおいしくて、こんな病院で医師人生をスタートできたらよいなと。それで、マッチングの第1志望は聖路加国際病院に。第2志望は大学や高校の先輩がはつらつと働いていた河北総合病院を選びました。しかし結果は―――「アンマッチ」でした。
ーーー率直に、アンマッチになった瞬間の気持ちはいかがでしたか。
何の根拠もありませんでしたが、「まさか自分が落ちるなんて」とショックでした。でも、恋人と別れるのと同じで、「自分との縁がないということかな」と、深く理由は考えないようにしていました。それでも、医学生時代はリーダーシップをとって色々と活動して後輩も多かった分、自分がアンマッチになったなんて友達や後輩にはカッコ悪くてなかなか言えなくて――2日間、気持ちが沈んでいました。
アンマッチになって、考えたこと
ーーーでも、2日で立ち直ったのですね。
ははは。もちろんショックは大きかったので、アンマッチが決まったその日には、お世話になった先輩医師に「マッチング浪人をしたほうが良いのだろうか」と相談しました。でも、「そんなことはせず、早く医師になったほうが良い」と言われて納得して、気持ちを切り替えようと思ったんです。
その時にいろいろなことを考えたんですが、最終的には「患者さんがいれば結局のところ、自分次第じゃない」という風に考えるようになりました。これは医学生時代にイギリスの臨床教育現場で患者さんから言われた言葉でもあります。医師免許を持っている以上、目の前の患者さんから自分で学ぶのが仕事であり、そういう意味では有名な病院でなくたって患者さんさえいる環境であれば、学べることはいくらでもある。「研修の効果を最大化させるためには、受動的な態度ではいけない」「能動的に学べば、どんな環境でも学びはある」ということは、やはりイギリスでの実習で痛感していました。院内カンファなどにぶら下がるのではなく、自分でゼロベースで計画を立てて学べる環境かもしれない、それは面白いかもしれないと思いました。そして「マッチングに落ちたくらいで悩むなんて、本当に時間の無駄だ」と思うようになりました。
そこから先は行動が早く進みました。実家に近い病院を探してホームページを見て、すぐさま面接を申し込みました。それが最終的に初期研修先になった、江東病院でした。若葉の芽の写真がトップの、雰囲気がよさそうなホームページだったことを覚えています。たしか定員8人のところ6人くらいまで採用が決まっており、2次募集中だったと思います。
ーーーそれまで江東病院のことはご存じなかったということでしょうか。
はい、まったく知りませんでした。当時大学の卒業試験で忙しかったこともあり、1日かけて病院見学をしたりする時間も持てず、面接の日に初めて院内の様子を見た程度でした。面接自体は和やかに終わって、ほどなく合格通知を受け取り、私の初期研修先探しは終わりました。