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アンマッチからのキャリア 志水教授に聞く初期研修の要諦
私の初期研修物語 vol.1 志水太郎先生【後編】


2018年10月23日(Doctors LIFESTYLE編集部)

 まさかのアンマッチからキャリアをスタートさせたのが、志水太郎先生。今でこそ2018年度のマッチング中間公表においても高い人気を誇った現在獨協医科大学で、総合診療医学・総合診療科の教授として活躍する志水先生ですが、その原点は、江東病院での初期研修の影響も大きいと振り返ります。インタビュー後編では、志水先生の初期研修中のエピソード、当時を振り返っての思いについてうかがいました。

初期研修初日の衝撃的なできごと


 ーーー江東病院での初期研修の様子はいかがでしたか。

 私の初期研修は、6か月間の内科ローテートからスタートしました。腎臓内科、循環器内科、リウマチ科など各科のベテランのオーベンが持ち回りで、マンツーマンで私の指導に当たってくださりました。当時の江東病院の研修システムは、医師20年目以上のベテラン医師か、医師のひよこの研修医しかいない状況。屋根瓦式ではないことを逆手に取れば、研修医の裁量も大きく、いい意味で自由なところがあって、多くの患者さんの対応を任されました。患者さんの症状は非常に多岐にわたっていましたし、オーベンが常につきっ切りというわけではなかったので、ヒヤッとしたこともありましたが。

 ーーー「ヒヤッとしたこと」というのは。

 忘れもしないのは、初期研修初日。オーベンが帰宅した後に患者さん発熱したときのことです。「これは血液培養を取らなければ」と思ったのは良いものの、なかなか採血ができなくって。何とか採血を終えて安心したのですが、採血に時間がかかりすぎたために血液が凝固してしまい、シリンジ内の凝固した血液を血液培養ボトルに何とか入れようとシリンジを強く押していたら、シリンジと針の接続部の脇から勢いよく血が飛び出して、顔面に血液を暴露させてしまったんです。その患者さんは梅毒で、「初日なのに終わった」と思いました。その翌週も、ショックの患者さんを一人で対応しなければならなかったりして、毎日が緊張の連続でした。

 ただ、当時の私は、そんな毎日が本当に楽しかったんです。3浪もして医学部に入った末に、ようやく現場に出て、一戦力として頼ってもらえて。やっと患者さんにふれあえるうれしさと、もっと成長したいという思いから、土日も関係なく自発的に毎日病院に通い、2日に1回くらいのペースで当直にも入っていました。失敗もしましたし、同級生から見たら、空回りしているようにも見えたかもしれない。でも、病院で患者さんやオーベンの先生方と過ごす毎日は本当にエキサイティングでした。特に江東病院の先生方は全員が優しくって。患者さんの声にもしっかり耳を傾けつつ、医師として伝えるべきことをきちんと伝えていらっしゃり――自分も早く追いつきたいと、必死でした。

脳外科志望から一転、内科系に進むことを決めたわけ


 ーーーそんな毎日の中で専門科目や後期研修先は、どのように決めたのでしょうか。

 初期研修の開始時点では脳外科を志望していたのですが、江東病院での初期研修を通じて、内科的な診療にどんどんのめりこむようになっていきました。決して外科に対してネガティブな感情を抱いたわけではなく、むしろ江東病院の外科は、すごくよかったんです。外科ローテーション中はとにかくかわいがってもらえたし、夜もみんなでご飯を食べに行ったりして家族のように過ごしましたし、オンコールがあったらみんなで駆けつけてオペをしたり――。チームで動いている実感があって、本当に心地が良かった。

志水太郎先生02

 しかし一方で、内科ローテーション中に味わった、「自分の力で臨床を進めていく醍醐味」は、私にとって非常に大きなものがありました。江東病院は3次救急を手掛けている病院ではないのですが、その分、「一見大丈夫だと思われた人が、実は大きなリスクをはらんでいた」というような症例をいくつも目の当たりにしたんです。そんな日常の臨床で出会う多くの「なぜ」を自分の力で解決し、患者さんに還元していけるように、初期研修1年目の終盤は、片っ端から院外の勉強会に参加し続けていました。

 そんなさなかに出会ったのが、臨床感染症の権威として知られる、青木眞先生でした。非常にロジカルに、感染症の考え方を2時間で語られる姿は、私にとって衝撃的で、日常の臨床で抱えていたモヤモヤ感も氷解していくような感覚がありました。「青木先生のような臨床医になりたい」そう思って、初期研修2年目は有給休暇をフル活用して、青木先生の講演会にはできる限りすべて参加し、教えを受け続けました。青木先生は私のキャリアの悩みにも相談に乗ってくださり、大阪の総合内科医、藤本卓司先生をご紹介してくださいました。藤本先生にお目にかかり、その教育的な姿勢に感銘を受け、藤本先生に教わりたいと思い、最終的に後期研修は市立堺病院に決めました。この2年目の時に、この後のキャリアでも大きな影響を受けた徳田安春先生、そして今では米国の父と仰ぐローレンス・ティアニーJr先生との出会いもありました。

「初期研修での体験が、今の自分をつくった」


 ーーーアンマッチから始まった初期研修でしたが、振り返ってみていかがですか。

 まず、江東病院に行ったことは大正解でした。もう一度初期研修ができるとしても、私は江東病院を選びます。特に「居れば与えられる環境」ではなく、自分で自分の研修をデザインできる環境であったことが、私のキャリアに非常に良い影響をもたらしてくれたと思います。自分自身の手でやらざるを得ないという環境に身を置いたこと。尊敬できる指導医に支えられながら、患者さんと向き合えたこと――やはり一番強烈に記憶に残っているのは1年目の病棟での日々ですが、振り返ると、日常の場面場面の多くに学びがあったと思います。江東病院での原体験があったからこそ、私は内科診療の楽しさに目覚めることができました。江東病院の先生方も、後期研修を市立堺病院で受けたいという私の選択を、精一杯応援してくれました。改めてこの場を借りて、感謝したいと思っています。

志水太郎先生02

研修医には「自分カリキュラム」が必要


 ーーー初期研修先探しに迷っている医学生も多いとは思います。先生は医学生や研修医に向けた著作も豊富ですが、医学生の方々にはどんな言葉をかけていますか。

  初期研修先探しという点でいえば、自分のアンテナに引っかかったところに、気が済むまで実習に行けばよいと思います。病院のすべてを知ることなんて不可能ですから、ある程度は直観を信じて、気になるところがあったら足を運んでみると良いのではないでしょうか。
 ただ結局のところ、良い初期研修が送れるかどうかは、その人次第であるという点は強調しておきたいです。目の前の患者さんから、いかにたくさんのことを学ぶよう洞察力と探求心を働かせるか。院内の体制や指導医も含め、価値のある教育リソースをどこまで活用できるか。大学では教わらないと思いますが、それも研修医の一つの能力だと私は思います。

 初期研修中かどうかに限らず、医師をしてキャリアを歩んでいく中で大切なのは「自分カリキュラムをつくること」だと思っています。私の場合、江東病院で尊敬できる数多くの先輩医師に出会たこと、青木眞先生という師匠に出会い、医師としての目標をつることができたことが、大きなキャリアの転換点でした。「憧れの医師たち」と自分で、何が違うのか。「なるほど」と指導医の言っていることにうなづくだけでは意味がなくて、「なぜそれが自分にはできず、この人にはできるんだろう」という目線で考える。そして、指導医と自分の距離を測って、そのギャップを埋めるために何をすべきかの課題を毎日立てて、それを自分の毎日のやることリストの一番上に持ってくる。そんな風に能動的に日々を過ごすことが、医師として成長を続けるうえで大切なのではないでしょうか。

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