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寄稿記事 わたしの女医ライフ【第3回】

医局内での「離婚」。目の前に広がる選択肢から気付いたこと―わたしの女医ライフ

2017年11月15日(正木稔子)

 離婚が決まった時、わたしの頭に浮かんだのは「これからの勤務先をどうするか」だった。同じ医局の医師と結婚していたわたしは、「離婚したら医局人事に迷惑をかけることになる」と申し訳ない気持ちになっていた。

 わたしは福岡大学を卒業後、目標があって東京に出てきた。学生時代にヴォーカルをしていたので、5年生の時に、歌い手さんの助けになるような仕事がしたいと考えたのだ。そのためには東京に出て行かなければ始まらない。24年間過ごしてきた大好きな福岡を離れ、縁もゆかりもない東京に行くのは、相当な覚悟が必要だった。 つまり、ちょっとやそっとで、地元に帰ることなど考えられなかったのだ。しかし離婚は「ちょっとやそっと」の出来事ではなかった。だから、選択肢が山のようにあった。

 福岡に帰ること。福岡に帰れば慰めてくれる家族がいる。飲み明かす友人もたくさんいる。猫が添い寝してくれる。福岡に帰った方が楽だ。帰るなら勤務先はたくさんある。どこを選んだらいいんだろう?出身校に帰ったら根掘り葉掘り聞かれるんだろうな。東京に残ること。医局にこのままいるのか、他の病院に移動するのか。移動するならそれなりの理由がなければ、行った先で「どうしてここに来たの?」と聞かれるのは目に見えている。東京の病院なんて一体いくつあるんだろうか・・・。 それに、医師免許、運転免許、パスポートの書き換え、引っ越し、クレジットカードの名義変更、友人への連絡・・・やることと考えることが山のようにあって、負けてしまいそうだった。

 ところがわたしの頭の中で語りかける声がある。「そんなことで福岡に帰っていいの?!何のためにあんなに覚悟して東京まで出てきたの」。

 医師になって4年目だったその頃、これからの道のりがとても長いことに気付き始めていた。もう3年もやってきたはずなのに、一人で自信を持って医療を施すことができず、自分の未熟さを突きつけられていた。今振り返ると3年くらいで何を言っているんだと思うのだが、当の本人は、医療には膨大な知識と経験が必要だと突きつけられ、途方に暮れていたのだ。  わたしの心の中では、現状から逃げて福岡に帰りたい逃避心と、仕事で何も成し得ていないというハングリー精神が戦っていた。一進一退の激戦で、前にも後ろにも進まなかった。

正直な気持ちと向き合い、わかったこと

 そんな時に出会った牧師さんに、こんなことを言われた。「握っているものを手放して、視点を高く上げて客観的に現状を見なさい」。

 わたしが握っていたのは、「バツイチになりたくない」、「上司に説明したくない」、「名前が変わったことを患者さんに聞かれたくない」、「相手と話し合いをしたくない」、「仕事はこれまで通りやりたい」だとすぐにわかった。「これらを手放せたら楽になるかも!」。ふっと心が楽になったものの、どうやったら手放せるのかまではまったくわからなかった。  わたしの視点を高く上げてくれたのは、専門医の資格取得と歌い手さんの助けになるという「目標」だった。目の前の問題にとらわれて優先順位をすっかり見失っていた。わたしにとって専門医資格を取ることは、「少なくともここまではやり遂げました」という証拠であり、自信だ。医局の先輩方を見ていて、専門医資格は専門家としての最低限の資格なのだと実感していた。事実、取得してからが耳鼻咽喉科医としてのスタートだった。

 「この先福岡に帰るにしても、何かを持って帰らなければ」。そう決意したわたしは、教授や医局長・グループ長にあいさつに行き、「ご迷惑をおかけしますが専門医取得までは医局に所属させていただけますでしょうか」と伝えることができた。

 女性の人生には、結婚・出産・子育て、あるいは離婚によって、職場の選択という大きな問題がやってくる。研修先選びにおいても、彼氏に翻弄されることは往々にしてある。女性は良くも悪くも感情豊か。事実から湧き上がってくる感情に左右されて客観性を見失いがちだ。あの頃のわたしはまさしくそれだった。

 しかし牧師さんの言った通り「視点を高く上げる」、つまり目標を見定めることで、目の前のことに翻弄されていた視点が、まるで鷲の背中にでも乗ったように高くなった。全体を見渡すことができ、なすべきことが見えるようになると、選択はずいぶんしやすくなる。仕事とプライベートのせめぎあいの中で、感情的には福岡に逃げ帰りたかったわたしを東京に留めたのは、まぎれもない将来像だった。その後も大小さまざまな困難は散在しているが、いつも目標を思い出すようにしている。あの人生の岐路で冷静な判断ができたおかげで、いま、後悔のない女医ライフを満喫している。

正木先生のプロフィール写真

正木稔子(まさき・としこ)
1979年生まれ。福岡県北九州市出身。
福岡大学医学部を卒業後、日本大学病院耳鼻咽喉科・頭頸部外科に入局。主に癌治療を行う。その後クリニックに勤務し、西洋医学に漢方薬を取り入れたスタイルで診療をしている。
現在は診療業務と並行してDoctors’ Styleの代表を務め、医学生とドクターを対象に、全国で交流会を開催したり、病を抱えた方々の声を届けている。また、ドクターや医学生に向けた漢方の講演なども行っている。
それ以外にも、国内外で活躍する音楽一座HEAVENESEの専属医を務めているほか、「食と心と健康」と題して一般の方向けにセミナーを開催し、医療だけに頼るのではなく普段の生活の中からできることを提案している。