離婚が決まった時、わたしの頭に浮かんだのは「これからの勤務先をどうするか」だった。同じ医局の医師と結婚していたわたしは、「離婚したら医局人事に迷惑をかけることになる」と申し訳ない気持ちになっていた。
わたしは福岡大学を卒業後、目標があって東京に出てきた。学生時代にヴォーカルをしていたので、5年生の時に、歌い手さんの助けになるような仕事がしたいと考えたのだ。そのためには東京に出て行かなければ始まらない。24年間過ごしてきた大好きな福岡を離れ、縁もゆかりもない東京に行くのは、相当な覚悟が必要だった。 つまり、ちょっとやそっとで、地元に帰ることなど考えられなかったのだ。しかし離婚は「ちょっとやそっと」の出来事ではなかった。だから、選択肢が山のようにあった。
福岡に帰ること。福岡に帰れば慰めてくれる家族がいる。飲み明かす友人もたくさんいる。猫が添い寝してくれる。福岡に帰った方が楽だ。帰るなら勤務先はたくさんある。どこを選んだらいいんだろう?出身校に帰ったら根掘り葉掘り聞かれるんだろうな。東京に残ること。医局にこのままいるのか、他の病院に移動するのか。移動するならそれなりの理由がなければ、行った先で「どうしてここに来たの?」と聞かれるのは目に見えている。東京の病院なんて一体いくつあるんだろうか・・・。 それに、医師免許、運転免許、パスポートの書き換え、引っ越し、クレジットカードの名義変更、友人への連絡・・・やることと考えることが山のようにあって、負けてしまいそうだった。
ところがわたしの頭の中で語りかける声がある。「そんなことで福岡に帰っていいの?!何のためにあんなに覚悟して東京まで出てきたの」。
医師になって4年目だったその頃、これからの道のりがとても長いことに気付き始めていた。もう3年もやってきたはずなのに、一人で自信を持って医療を施すことができず、自分の未熟さを突きつけられていた。今振り返ると3年くらいで何を言っているんだと思うのだが、当の本人は、医療には膨大な知識と経験が必要だと突きつけられ、途方に暮れていたのだ。 わたしの心の中では、現状から逃げて福岡に帰りたい逃避心と、仕事で何も成し得ていないというハングリー精神が戦っていた。一進一退の激戦で、前にも後ろにも進まなかった。